結婚適齢期を逃すのは本当にその理由?!

結婚適齢期を逃した独女たちの共通点という記事、興味があって深く考えました。

筆者はファミレスで母親が小学生高学年とおぼしき娘に、「行動が遅い人は大人になってからも社会で苦労するの。何事も出遅れるのよ。(略)なんでもっと早く自分から行動しないの?」と言っているのを耳にして、間違っていないと感じます。

でも、本当にそうでしょうか?

私は先の母親が娘を何でもかんでも縛るから、娘は行動が遅くなっているように思います。

そしてこの母親はある特徴的なフレーズを使っています。
「なんで~なの?」というやつ。

よく耳にするこの言葉、実は裏にある思想が潜んでいます。
その思想とは
【自分(親)の理想の延長にいない相手(娘)は強制的に理想の延長に引き戻すべし】

です。
「なんで?」と言葉は疑問形ではなく、命令形なのです。
一見すると相手に弁明の余地を与えているようですが、実際当人は意識してその状態を作りだしている訳じゃないので、弁明などできようもなく、従って理由がない以上、母親の意見に沿わなくてはならないのです。

このようなフレーズを使われながら育った子供は、「なんで?」と言われるのを避けるために、失敗しないように、後ろ指指されないように成長します。
誰もが間違いないと判を押してくれる、もしくは誰かが全責任を取ってくれるそんな場面でないと前に進めなくなるのです。



そこで記事にあげられている結婚適齢期を逃した女性達の特徴に戻ります。

「腰が重く行動力がない」「とにかくただひたすらに待つ」「他力本願」

これってまさに自分で自分のことを決められない典型ではないでしょうか?
幼いときに自分で決める自主性の芽をもぎとられた彼女たちは、大人になって仕事や人間関係だけでもそれなりに精神疲労しているであろうに、それにプラスしてない自主性を絞り出すような行為は自分の心をスッカラカンにするので、無意識に自己防衛して精神力温存を図っているのです。

そのことを周りが知らないと、「いい加減な歳して、甘えるんじゃない」とか「人生は求められるだけじゃなく、求めなきゃ!」と彼女たちを追い詰めることを言う。
言われる側も、「分かっちゃいるけど、心が付いていかない」と余計に凹む。
負の二重ループです。

結婚というのは、自分の中のある殻を脱皮したその先に付いてくる結果であって、その殻の正体が何だか分からずに、脱皮の先ばかり追い求めていてはいつまでたっても空回りです。

自分の本当の心、即ち自主性を育てるために、まずどういう思想を身につけたらよいのかを人生を見返りながら考えてみることの方が先決ではないかと思ってしまいます。