成人して「人見知りなんです」って甘え過ぎ

いい年をした大人が「私は人見知りなんです」と言うのは、どうかな~という気がする。

というのも、自分が内心”ボクは人見知りだ”と思うのは自由だが、それを言葉に出すと言うことは、相手にそれを分かって欲しいという意味であり、「人見知りな私を受け入れてね♡ぶっきらぼうに答えるけど許してね!」という甘えに聞こえるからだ。

いくら自分のことを素直に話せばいいと言っても、初対面で甘え願望を出すようでは、自分勝手にしか見えない。

書籍等で「私は人見知りなんです」と書くのは、「でもね・・・」の部分がくっつていて、読者も著者のように人見知りでも変身できますよ!という励ましのためである。
つまり「人見知り」という情報は、読み手にとって意味があるから、わざわざ述べられている。

意味のない場面で「人見知りなんです」と言われたら、相手は「あっそうですか!じゃあ一人で楽しんでくださいな」という気分になる。
自分説明書を読み上げる人に会う度、「本当に他者を見る気がないんだなぁ~」と思う。

「自分・・・自分・・・自分」
その人は生涯に渡って、自分がどう満たされるかだけを追求していくのでしょう。
他者が怖くない人なんていないんです。心のどこかで全員人見知り。
自分だけ特別扱いしてくれなんて、そんなの神様は許してくれないんですよ。