不安の分からない人

谷川俊太郎さんの「20億光年の孤独」という詩にもあるように、人は人生の不確定要素
に対して、不安だからこそ、他者に近づきたいと思い、他者を意識するのだと思う。

でも、もし心の中に不安がない人がいたならば、その人は他者を必要とするだろうか?

不安じゃない人なんているの?と思うかも知れないが、目の前にそんな人間がいる。
Sさんだ。
Sさんは不安という感情を持たない。だから他者を必要としない。
一人で暮らし、誰にも関心を持たれなくとも、全然へーき。

私はSさんに出会うまで、人は人に関心をもつことを信じて疑わなかったし、一人が
平気と言っても、どこかで人は人を求めてしまうのだと思っていた。
が、しかし、目の前に私の信じていた思いこみを覆す真実がぶらさがっている。
真実はねじ曲げられない。従って私は新たに出会ったこの真実に対峙せねばなら
ない。

このブログにもずっと書いてきたSさんへの不満は、KOMAという人間の価値観と
Sさんの持つ価値観の相違によるところが大きい。
私もどちらかというと頭が固い方だから、不安を持たない種の人間がなかなか
捉えきれなかった。
もちろん今でも、その種の人間がいることは理解したけど、一緒にいたいとは思わない。

今現在もSさん本人が変わりたいという意識がない以上、Sさんは変わらないと思う。
Sさんは不安が理解できない以上、相手の不安に寄り添うことはできないだろう。
従ってトンチンカンな発想を繰り返す。
トンチンカンだから、相手の不安な心の訴えを自分への攻撃・嘲笑と捉えてしまう。
←えっ?どんだけ間違えてるんですか?って感じ。

会話としては
KOMA 「××だったことが、心にひっかかって。」
Sさんの心の中 (オレのことバカにしているのか?)「・・・。」
こんな感じ。

想像すると分かるが、これはもはや交流以前の状態だ。
宇宙人と話をしているレベル。いや宇宙人の方がもっと分かってくれるか。

人としてこういうタイプと話をするのはムリがあるでしょう。
だからSさんには人間と交流するのが不可能なんです。

私が常々結婚する能力がない人はしないでね!といっているのは、Sさんのような
タイプが女性を悲しませることを危惧しているのです。
一人で生きても不便がないなら、それでいいじゃん。
どう生きても、そりゃ勝手、でも他者を巻き込まないで。