配偶者に期待しない世界

私は親に過大な期待をされて育てられました。
だから期待に応えるという人生から降りたくて仕方がなかった。
そこで、無害つまり期待をしないでいてくれる相手を選びました。

すると、どーでしょう?期待とは縁が切れましたが、精神的満足も発生しませんでした。

通常人は相手に適度な期待を持ち、期待が満たされるから、満足をするのです。
期待そのものが悪ではありません。
もし全く期待しないのであれば、相手が気を使った気配りにさえ気付けない&感謝できない。
なにせ、期待が満たされるという精神充足の時がこないんですから。

お金や物だけで、人生は埋まるんじゃない。
やはりそこには、「分かってくれた」「尊重してくれた」という精神への充足があるんです。
ですから、分かってほしい萌芽を意識すること、即ち期待があることは大切なことです。

期待のない世界は、飄々としています。
捕まるもの、支えてくれるもののない世界。
ポツンと一人で立ち、世界は人を含めたただの物で囲まれている。
感情のやりとりも、精神の満足もない。

あなたが相手を”頼りない・のれんに腕押し・考えていることがわからない”と感じるなら、少なからず相手は人と期待を交換し合うことを放棄しているのだと思います。

期待されることを常に求められた私にとって、期待ほど見えやすいものはないと思うのですが、別の人にとっては雲を掴むようでさっぱり正体が分からない。
同じ人間同士が話をしても、かみ合わない訳です。

実際、配偶者は期待がなんだかわからないんだそう。
私は「うっそぉ~」と言いたくなるほど、ビックリでございます。
だから二人はどこまで行っても平行線なのですね。
まったく分かりあえない。