「私を分かってくれる人がいない」と悩む人へ

誰も私を分かってくれない、独りぽっちだ・・・と悩む人は多くいる。
一方で、みんなを理解できない、仲間に入れてあげることが出来ないと悩む人は、少ない。(というか、いない。)

自分が受け入れられることは望むのに、人を受け入れることは望まない。
だから、アンバランスになる。
あたりまえだが、受け入れられる人と同じ数受け入れる人がいなければ、この等号は成り立たない。片方が100で、もう一方が限りなく0なら、需要が満たされることはない。

唯一この[ 受け入れる=受け入れられる ]が満たされるのは、3歳までの親子関係。
このときだけは、赤ちゃんのために親が存在するような時期なので、需要は満たされる。しかし3歳までに需要が十二分に満たされなければ、その後も執拗に追い求める。

多くの人が需要を満たされていない!と大人になっても訴えるということは、それだけ需要が不十分だったことになる。
もちろん、どんな人間にも認められたいという欲求はある。だが、それはあくまで希望だ。話題にしているような執拗さはない。

基本的に我々は、人に受け入れられるものではないし、受け入れろと要求することもできない。孤独にぽつんとそこに居る。ただ孤独の中で、相手を認め尊重していく過程において、相手に心地よさを与えることができたとき、自然とこちらが受け入れられることもある。はっきり言って偶然の産物みたいなもん。

自分の中に渦巻く「分かって欲しい」という感情は、求めるだけ無駄です。諦めて下さい。
諦める。それも大事なことなんですよ。