愚痴ばっかり言ってくる人の対処法

口を開けば愚痴ばかり、っていう人はいませんか?

私は、母親。同居している義父母への愚痴、配偶者への愚痴、生まれ育ちといった境遇への愚痴、とどまることなくそれらを私に向けて吐き出していた、と思います。

ときには4時間以上も。

もう、これって一種の依存です。やめられない~♪、とまらない~♬、グッチ祭り♫、です。←かっぱえびせんのノリで。

ただねぇ…、時間の無駄だと思うし、ちゃっちゃと解決してしまったら?とイライラしちゃうんです。そんなとき、どう対処したらいいんでしょうか?

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愚痴を言いつづける人の目的

一つ我慢を溜めると、どこかに出してしまいたくなります。二つ溜めると、出す先を無意識に探し始めます。三つ溜めると、愚痴があふれます。

溜め込んでいけばいくほど、愚痴に背中を押されて、出そう、出そうという行動に走らされる我々。ポイポイ捨てて行きたい、楽になりたい、精神の安定を保ちたい。

こうなるともはや自分ではどうにもすることが出来ません。だから、「愚痴は聞きたくない」と制されても、辞められないのです。我慢を溜め込む人にとって、愚痴は生きることそのものです。愚痴らなきゃ、心がパンパンに膨れあがって、破裂してしまうと思っているのです。

愚痴を制するには?

ならば、聞いてあげるしかないんでしょうか。見殺しにしないためにも???

でもこんどは自分が死んじゃいますよね。いっぱいマイナスオーラを浴びせられて、しんどくて潰れそうになる。

そこで考え方を変えてみます。そもそも我慢を溜め込むのが問題ではないでしょうか?我慢しなければ、愚痴りたくもならない。そう、問題の源流をどうにかすることが、一番の方法なんです。ですから、聞くんではなく、突き止めるんです。本当は、なにがイヤなのかを探す手伝いをする。

「お姑さんが酷いことをする」と主張する母親には、なにがイヤなのかを考えさせるのです。酷いことの内容がイヤなのか、姑より下に見られているのがイヤなのか、この状況を知って配偶者が救いの手を差し伸べてくれないのがイヤなのか。とことん考えさせる。

意識が自分へ向くと、自分(母親)でなんとかしなくちゃいけないのかな?という自立心も芽生えますし、聞かされる方もこれは母親の問題で自分とは無関係、という割り切りを持てます。

人の感情問題に手を出さない

感情はあくまでも当人に属します。誰かが代わりに処理してやるものではありません。従って、我慢はすると決めた以上自分で責任を取る。他者は解決を図りたいときに知恵を借りる存在くらいのサブ感です。

そこを勘違いして、感情の処理係を請け負ってしまうと、もっともっと、という依存を生みます。一旦我慢を吐き出すルートが与えられると、もはやそれなしには生きられなくなってしまって、いくら「愚痴は聞きたくない」と抗われても、聞きいれることができなくなってしまうのです。

甘やかしは、本人にとっても聞く側にとっても有益ではありません。

人は自分の問題は自分で解決できる賢さを持っています。本人の賢さを信じてやる方が、相手を尊重しているし、誠実に向き合っているとは思いませんか。

人の感情問題は、その人のもの。きっちり区切りをつけて、聞くことから降りましょう。代わりに、考えることを迫るのです。