仲間はずれにされたと落ち込む人は

複数人で集まるときに自分だけ声を掛けられないと「仲間はずれにされた」と落ち込む人は、そもそも「仲間に入ること」がいいことだと思っている。
しかし仲間に入っている人は「力の強い人に合わせるのがシンドイ」と思っている。
結局どっちもどっち。

それでも人は、誘われること、仲間に入れられることを求め、自分が他者にとって重要な人物であることを確かめたがる。

裏を返せば、それだけ一人でいることが不安定だということ。

確かに一人で出来ること、一人で絞る知恵、には限界がある。
そこで集まって皆でよい方向へ行こうとする。
しかし一人一人が <一人の人間としての安定感> を持ち得てないと、集まった途端におんぶにだっこの依存症を発症する。

そうするとグループ内で、贔屓や嫉妬が起こり、その集まりはもはや健全ではなくなる。

つまりはそのグループに「仲間はずれか否か」を気にする人間がいることそのものがグループ存続の危険信号ということになる。
自分が誰かとお付き合いをするときに、やたらと「仲間であること」を協調する場合は覚悟しておいた方がいいかもしれない。
遠からず意志の不疎通によって、「仲間だと思ってたのに、裏切ったわね」の恨み節が出てくるから。

所詮人間は孤独なんです。それを甘受しないと先には進めない。