「うつ」って自分がここにいていいか分からなくなる病気なのかも

最近、芸能人が「うつ」でおやすみすると発表され、ふたたび「うつ」に関心が集まっているように思います。

昔にくらべてずいぶんと「うつ」は身近な存在となりました。たしか画像解析もすすんで「うつの脳」を見分けられるようになったとか聞いたなぁ。

そんな技術革新が進んだ中でも、今もって有効な治療は「認知の歪みを治す」ことです。そこで改めて認知の歪みってなんだろう?と考えたとき、ある思いが浮かんだのです。

それが表題の「『うつ』って自分がここにいていいか分からなくなる病気なのかも」です。

疑ったことすらない「ここにいていい」がもし揺るがされてしまったら、私達ってどうなってしまうんでしょうね?

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「うつ」の人に起こってること

普段気にしたことはないと思いますが、我々は「自分はここにいていい」という感覚を持って生きています。実際には「自分はここにいちゃいけないだ」という感覚を持たずにいる、といった方がしっくりくるでしょうか。

我々はここにいることになんの疑念も持たずにいるわけです。それが仲間はずれにされたとき、あからさまに貶されたとき、「あれっ?自分ってここにいちゃいけないのか?」と自分を疑い始める。するとなんだか目先が真っ暗になったような気がするんですね。

そんなとき、誰か一人(目の前の人でも好きなアーティストでもいい)でもwelcomeで迎えてくれた(と思えたな)ら、「この人の前でだけは、ここにいていいんだ」と思えます。

ところが誰もいなかったら、「ここにいちゃいけないんだ」という思いに囚われ、かなりのスピードでその考えが広がっていきます。それゆえ、たまたまコップが手元から滑って割れたことまでもでも、「コップまで私を否定する…」と曲解してしまうのです。

なんでもかんでもが「ここにいちゃいけないんだ」を暗示するように思えると、心底自分を嫌いになります。これがいわゆる「うつ」ではないでしょうか。

「ここにいていい」の礎が崩されたとき、未体験の恐怖ゾーンに突入した気がして、自分の命すらあっていいのか疑うようになって…。だからこそ毎秒毎秒「私という存在」の「いる/いらない」の判断に迫られ、なにげない日常が緊迫した場面へと変貌するのです。

よく「うつ」の人が判断ができなくなって、体力の消耗が激しく寝込むのは、この緊迫した場面に立ちつづけざるをえないからなんですね。

「うつ」が生きなおしのきっかけといわれる所以

でもちょっと立ち位置を変えてみれば、「うつ」が「人生とはなにか」を問うチャンスとも考えられます。「いてもいい」という存在である礎をひっくり返され、「私、何のために生きてるんだっけ?」と問うことで、初めて【自分の】人生の一歩が踏み出せるチャンスが舞い降りてきたのです。

それまでは、親の顔色、周りの反応を気にして自分を犠牲にしてきたのが、自分をファーストに据えることによって、私らしくあることの意味を探すところに追い込まれてしまいました。

そこでやっと求めてるものが、お金持ちになるとか、有名になるとか、じゃないことに気づくのです。求めているのは、そよ風がほほをなでるようなささやかな幸せ。そう、「私がここにいていい」と感じられる何かを見つけること、です。

たいそうなことは無理でも、ちっちゃなことならできる。そのちっちゃなことが、自信の種になって、一回り大きなちっちゃなことをやろうという勇気へと繋がっていく。

それを繰り返す内に、自分にしかできない何かに繋がって、誰かから「あなたじゃなきゃ」という指名が入る。そうなれば自分だけが「いてもいい」と思ってるんじゃなくて、他者からもそう思われるのですから、より自信を強めることになるでしょう。

うつ経験者として

私もかつて「うつ」を経験しました。それこそなんにもできなくなって、「人間ってこんなこともできなくなるんだな」と感心したくらいです。息をする、ただそれだけがとても難しかった。毎日、身体を維持する(肉体を携えている)のが辛くてたまりませんでした。

身体が動かないし、痛いし、吐き気がすごいし、生ける屍みたいだったと思います。身体の中の全エネルギーが誰かに吸い取られちゃったのかなってくらい(笑)。

そして今、痛みは消え、身体は動き、美味しくご飯を食べています。あのときの、屍感はなんだったんだろう?と思えるほど元気になりました。そして微力ながらも誰かの役に立ててるという自信を持てるようになりました。

「うつ」にならなかったら、「自分の存在の有無」を問うこともなかったし、健全な元気さを手に入れることもなかったと思います。「うつ」になったのは、大人になるまでに考えるはずだったことを、周回遅れで神様に考えなさいと促されたから、と今は感じています。

めげない人生とは、心の中に「ここでいていい」を育てることです。どんな苦境にも立ち向かっていける自分をつくるために「うつ」の今があります。「うつ」を毛嫌いするのではなく、「うつ」が教えてくれることに、どうか耳を傾けてください。