どうでもいいと思われてる人が今から出来ること

仲間ハズレにされると、痛みを感じるときと同じ脳領域が活性化するんですって?
知ってましたか。

思い起こせば、

  • みんなで誕生日のお金を集めて、プレゼントしていたのに、私の時だけスルー
  • 3人で集まったとき、2人にしか分からない話をされて蚊帳の外
  • 集まりの幹事は押しつけられるのに、話の輪には入れてもらえない

いたたまれない出来事が次から次へと思い出されて、胸の奥がチクチク痛みます。胸が痛いということは、脳が痛みを感じているってことでしょう。

その痛み、感じずにいられたらどれだけいいだろう。仲間に迎え入れられたら、どれだけ心安まることだろう。そう考えては、「そんなこと起こりっこない、やっぱり無理」と引き返す自分もいて、頭の中がごちゃごちゃになっていませんか。

こういうときこそ、考えを整理してみましょう。

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相手の視点で考えてみる

手始めに、仲間ハズレをする側の視点に立って考えます。

Aちゃんとは話しも合うし、共通の趣味もある。だから一緒にいるだけも盛り上がれるし、楽しい。Bちゃんとは、お勉強仲間で、ライバル意識を持ちながらも切磋琢磨できる。だから一緒にいるだけで、勉強頑張れるし、成長できてる気がする。あなたとは、たまたま席が前後で知り合って、話せばそれなりに間がもつけど、無難なことしか言わなかったり、相づちを打つだけだで、たいして面白くない。

だからAちゃん、Bちゃんには会いたいって思うけど、あなたには会っても会わなくてもどっちでもいい。

というのが正直なところでしょう。それを知ったあなたは、「話しを盛り上げるのが苦手だし、勉強もできないし、やっぱりどうでもいい扱いされるしかないの?」と悲しむに違いありません。

やはりたいした実力のない者は、隅に追いやられるしかないのでしょうか。しょうがないか、と諦めざるをえないのでしょうか。我慢していればいつか胸の痛みは消えるのでしょうか。

諦めがつかないときは何を目指すか?

そうはなりませんよね。諦めがつか…、ないですよね?

ならば、人はどういう相手を魅力的だと思うか、を整理してみましょう。経験則で分かっているのは、話を盛り上げられる人、平均より秀でたもの(学力)がある人、でした。他には?他にはありませんか?

自分も、こういう人魅力的だな~と思う人物を思い浮かべてみてください。この人といると、気持ちが明るくなる、心が軽くなる、温かく感じる、そんな人。

お分かりになりました?最大の理解者でいてくれる人、です。

その人は話しを盛り上げることも、なにか秀でることもない地味な存在です。でも理解をしてくれることで、なんか元気が出る、やれそうな気がする、そういう存在を目指してみるのは、どうでしょう。

実際どう考える?

では、何から始めましょうか?悩みの相談に乗ってあげる?ひたすら聞き役になる?

ノンノン。一番最初にやるべきは、人との距離を取ることです。要は、独りになってください。なぜ、独りになるか。それは、いきなり実践しようとしても、頭が追いつかないからです。無理にやろうとすれば、ヘンな方向へと飛んでいってしまいます。

自分だけなら、ペースも、軌道修正も意のまま。なので、人と関わることは一旦停止しましょう。その上で、「所詮自分なんて嫌われ者…」という意識を変えていきます。どうしましょう?「私は皆に好かれてる、ラッキー★」とでも振ってみます? ってなんかウソくさい。コレじゃないですね。

もっと自然な意識を上書きするとかは?「自分は、○○」。○○に何を入れようか? 何を? 何を? 何を?
無理せず入れられるもの。それは。。。。。。

「自分」です。「自分は、自分」。A=Aみたいな当たり前、そう思ったでしょ?でもね、それが出来てないのよ。あなたは今、自分じゃないAちゃんやBちゃんになろうともがいてる。必死で。そのあがきはやめましょうね、と言いたいんです。

「自分は、自分」とするとなにがいいか。いいところも、悪いところもひっくるめてぜーんぶ、自分ってなることです。鼻ぺしゃな私も、声の低い私も、字が汚い私も、ぜーんぶ私。いいも悪いもない完全無欠の私。

そうやって心から自分を受け入れらたときに初めて、なんでもアリと思えるようになるのです。実存していることがすべてで、そこにいいも悪いもない。同様に、どんな奇妙で奇天烈な相手も、実存していれば、それが真実なんだと思えるようになる。

世の中になんでもかんでも受け入れられる人なんていません。ときに、「変わってるね」と切り捨てられたり、「そんなのオカシイよ」と真っ向から否定されたり、「目立ちたがり」と叩かれたり、哀しい思いをします。そんなとき、「あなたがそう思っているなら、それが真実」といってくれる誰かがいたら、どれだけ救われることでしょう。

あなたが「自分は自分」と思えた先に、誰かの理解者になれる思慮深さが宿ります。その片鱗は、わずかながらも伝わります。否定しない、意見を投げつけない、「あなたはあなた」と尊重してくる態度に、人々は安らぎを覚えます。これは、迎合とは違います。人に合わせるのではなく、人と合わさる。

その人の後ろにふわりと立って、その人だけに見える世界に耳を澄ますのです。

じっくり腰を据えて頭の整理を

あなたが仲良くなりたいと思っている友達は、いきなり仲間には迎え入れてくれないかもしれません。でも話をしていくうちに、「この子は否定しない、見守ってくれてる、背中をおしてくれてる」と感じるようになります。一緒にいて、楽しいというより、ホッとする相手と認識されていくのです。

若いときは、仲間ハズレにされると、見た目がイケないのか、学力がイマイチなのか、なんなら口がクサいのか等、さまざまなことで悩みます。衛生観念はともかく、大方は、本人のキャラクターの問題でしょう。嫌われたくないあまり迎合ばかりして、そのわざとらしさが鼻について、仲間ハズレを喰らっているのです。

だから繰り返しになりますが、「自分は自分」と思えるまで何度も考えを整理し、固めてください。迎合して、相手に認められてこそ自分などという愚かな考えに傾かないでくださいね。