褒めてもらう経験がないと、すごく褒めてくれる人のこと、大好きになっちゃいますよね。
一見するととてもよいループに思えます。
でも、よくよく観察してみると、恐ろしい裏が見えてきます。
どんなことでしょうか?
すごく褒めるとはどういうことか?
褒めるとは、相手が私の行いを素晴らしいと感じたときに、それを口にして賞賛する行為です。すごく褒めるということは、やや大げさに、分かりやすく賞賛することです。
つまり
すごく褒めるとは、相手がいいと感じたことをやや大げさに言うこと、です。
ここで気をつけたいのは、「相手が感じたこと」を口にしているという事実。あくまでも感じたのは「相手」ですから、褒める褒めないの物差しは、相手の中にあります。
これが相手の、人を表現する方法です。
なぜすごく貶してくる?
相手は感じたことを大げさにいう姿勢が板に付いていますから、私の行いがみずぼらしいと感じたときも容赦はしません。「常識外れ」「みっともない」「そんなことする人、初めてみた」。
こんな風にかなりキツい表現をします。でもこれ、褒めたときとまったく同じ反応なんですよ。
自分の物差しで判断した結果をオーバーに表現しただけ。
持ち上げるも突き落とすも、我が物差し次第。性格が良いから、褒めてるんじゃない。あくまで感じたことを、オーバー気味に口に出すクセがあるということ。
仮に最初すごく褒めてくれたとしても、それはあくまでそのときに私の行為が素晴らしく感じられたからに過ぎません。一過的で刹那的。着実な人間関係にはほど遠いのです。
感じたことを口にする人といるとヤバい
すごく褒めたりすごく貶したりに忙しい人と一緒にいると、釣られてこちらの気分もめちゃくちゃ気持ちが上がったり下がったり。で、ぐったりします。あげく、もう一度褒められたくて、やりたくもないことをやったり、気が進まないのに悪口に同意したりしてしまうことも。
って…何かに似てません? 洗脳のやり方そのものです。
最初はドーンと持ち上げて良い気分にさせて、次はドーンと押し下げて不安にさせる。不安で気弱になったところに、「こうやると、こちらは機嫌が良くなるよ」と吹き込んだり、「私と同じ思想を持つべきだ」と迫ったりする。
多少それらを不快に感じたとしても、褒めてもらった経験がないために、最初に感じた麻薬的快感が忘れられず、抜け出す勇気がもてなくて、そのうちどっぷりとハマってしまうのです。
よくいう「めちゃくちゃ褒めるには、何か裏がある」というのは、まさにこのことで、大したことのない自分が大絶賛されることの方がオカシイ。
そういう客観的な目線はいつでも傍に置いておかなければなりません。
人間関係は穏やかに
人間関係は、長い月日をかけてじわじわと作っていくものです。ある日突然大好き♥となって、そのままでい続けることはまずもってない。
じわじわとした関係は、なんとなくあの人といると心が晴れやかだ、活力が湧いてくる、そんなほのかな好意から始まって、ふと刺さるひと言をかけられたとき、自分の中のなにかが嬉しいと反応する。ぞういう穏やかな遷移を繰り返します。
それじゃ面白みがない、という人はいるけれど、こと人間関係に限っては、派手なほど崩壊も早く、軋轢も多く、無理がたたります。
エッジが効いた褒めというのは、反転すれば鋭い切れ味となる。その恐ろしさにいち早く気づきましょう。
あの人、私のこと褒めてくれるの!と浮かれている自分がいるとしたら、そんな自分に喝!!
そう遠くない未来、あなたを酷く傷つけられるでしょう。心の準備を怠らないことです。