認めて欲しい、構って欲しい私

自分という存在があやふやなとき、誰かに認めて欲しい、構って欲しいと思う。
そうやって、他者から認識される自分を感じることで、かろうじて自分という存在を確かめることができる。

他者に何かを求めることは、うすーいうすーい可能性を探ること。

私の思いどーりの反応など、自動的に分け与えられるわけはない。
それでも、不安で不安で、消えてなくなっちゃいそうだから、手を伸ばして、「誰か掴んで!」と思ってしまう。

弱い自分、分かってるさ。
でも、求める自分がそこにいる。
きっとみんな、自分を受け入れてくれる誰かを求めている。
家族という存在があっても、必ずしも自分の心までしっかりとは受け止められてないんだ。

いつになったら自分を迎えに来てくれる仲間に出会えるのか?
ずっと出会えないのか。
全ては、自分次第かな・・・。