「好き」か「好きなふり」か

ご機嫌よいうちの犬が「撫でてくれぃ~」とやってくるのは、無性にかわいい。
まるで「ママ大好き♡」と言ってくれてるよーだ。
無垢な心で寄せてくれる「好き」は何にも代えがたく美しいものだと思う。

翻って、もしうちの犬が自分の立場を良くするためにすり寄ってきたらどうだろう?

同じ近寄ってくるでも、「気持ち悪い」と感じるのでは無いだろうか。
表に出る感情と別の目的があるとき、人は隠した目的の方に疑惑を向ける。

だから「好き」は「好き」。そうじゃないなら距離を置いた方が潔いのではないだろうか。(わざわざ相手を責める必要は無いけど)

人の目ばかり気にしている人は、自分の本音が「好き」か「そうじゃないか」ですら自覚してない。
むしろ自分をだまくらかして「嫌いと思ったら角が立つから好きなふりをしておこう」くらいに思っている。
すると「好き」の顔が歪む。

長年嫌だなと思うことを好きなことに無理矢理転化してきた私は、なかなか心からの「好き」を感じることができない。つまり言葉に出すこともできない。
唯一犬に対してだけ「好き」と言える。
この小さな「好き」を突破口にして、本来私が持てたはずの「好き」という感情を育てようと思う。
長年かけて漂白され薄い色になった感情を取り戻すのだ。

私たちは自分の感情を持たなくてはならない。
感情こそが判断の水準であるからだ。
感情を持って人間らしく生きる。これもまたやったことのない人間にとってはかなりのハードルである。