「一人で死んで」ということの危うさ

川崎で起きた殺傷事件、亡くなった方、ケガを負われた方、事件を見て心に傷を負った方に、のことを思うと、言いようもない憤りと理不尽さを覚えます。

犯人が自殺したこともあり、事件直後は「一人で死んで」という論調に深くうなずく自分がいました。けれど、犯人のような思想の人物が「一人で死んで」解決する問題ではない気がするのです。もっと、こうなんか…本質的なことを見逃している。

「一人で死んで」オシマイ、という方法が支持されるならば、世の中は「悪いやつが死ねば解決」といく方向へ進んでいきます。「いい人だから生きるべき」人間、と「悪いやつだから死ぬべき」人間に区別される時代が訪れたとき、我が身に死ぬべきレッテルを貼られてしまったら、どうしたらいいのでしょう。

誰の中にも「邪悪」はいます。その「邪悪さ」を発動させないためには、「あなたはひとりじゃない」という受容が大切だと思うのです。

日常における排他

日々の暮らしで、我々は大小様々な感情を抱きます。とくに苦しい感情を抱いたとき、周りは「大したことないよ」「考えすぎ」「もっと酷い人がいる」と、こっちが苦しみを過大評価しているかのような態度をとります。

それを聞いて「捨てられた」と思った経験、私だけではないはずです。

世の中はポジティブであればいい、ネガティブは悪いことという雰囲気にあふれています。しかし苦しいことにポジティブもネガティブもありません。苦しいは、苦しい。

その苦しいを誰一人理解しようとしてくれない。むしろそんなのフタしてしまえ!というのが、世の中です。従って、ほとんどの人が、自分を独りぽっちだと思い、「誰も分かってくれない」という鬱屈さを抱えています。

感情に自信を持つ

そんな鬱屈さを取り払うには、自分の真横に立ってくれる人に出会うことです。感情にポジティブ・ネガティブという色をつけず、感情を感情のままに見てみよう!と提案してくれる人。

その人がいれば、抱いた感情に「その感情はあっていい」という安心を持てます。自分以外の誰かが理解を示してくれることで、感情の存在を肯定できるようになるのです。これが「感情に自信を持つ」ことにつながります。

感情は存在を否定されればされるほど、より派手な方へと傾き、肯定されればされるほど、なりを潜めます。苦しいという感情であっても、誰かが理解を示してくれれば、乗り越えられないほどの苦しみから、ぎりぎり耐えられる苦しみへと変貌する。

理解を示されることは、心の有り様を変えていくのです。

我々の知性の程度

そこでさっそく理解を示してくれる誰かを探そうとするわけですが、いままでそれほどの理解者がどれほどいたかを思い返すと、一人も居なかったという事実に愕然とします。

理解者がいるという前提そのものが、幻想じゃん…。

そうなんです。多分ほとんどの人は、人の感情を理解することのすばらしさに気づいておらず、誰かの感情を肯定してあげたこともなければ、してもらったこともない。そういうことに価値を見いだすほど我々の知性が育っていないのです。でも、もやもやっと「そういうものがあったらいいな」とは思っている。だから「誰も私のこと、分かってくれない」と嘆くのです。

嘆きを通じて理解することの効能にうすうす気づいているんですね。

理解者を探す

では、本格的に理解者を探していきましょう。

まず「自分の見た目、好きですか?」とお尋ねします。

ほとんどの人が、「あまり好きではない」と答えるでしょう。続いて、「自分の見た目が好きじゃないという状態を、手放しで受け入れられますか?」とお尋ねします。

するとほとんどの人が、「そんなこといたってしょうがないでしょ。顔は変えられないんだし」と答えます。

この応答がまさに、「苦しみの感情を捨てて、無視を決め込んでる状態」です。本当は苦しくて傷ついてるんです。

だから拾います。「そっか、今まで嫌な思いたくさんしてきて辛かったんだね。容姿の問題はいつの時代もついて回るから、ほんと嫌だよね。」と。

すると、無視を決め込んでいたときより独りぽっち感が薄れます。実際に他人に話して慰められるより、救われた感じがします。みんな感情に価値を見いだすほど知性を育てあげられていないのですから、自分の手で感情を肯定し、理解者となるのが一番早道です。

「一人で死んで」に代わるなにか

そして自分の感情を自分で救えるようになると、他者に対しても理解されずに独りぽっちで心細いんだろうな~、助けてあげようかな~という気持ちが働き、相手を憎む気持ちが消え失せます。

川崎の事件で言えば、犯人に「一人で死んで」と思う気持ちが薄れます。

人を憎むのは誰でも出来ます。けれど犯人と同じような境遇な人が、世の機運が「一人で死んで」に傾いたなら、自分という存在を・感情をはじき飛ばされたような気がして、世の中に報復してやる!と豹変することは想像に難くありません。

独りじゃない、ともに在る人がいる、ということが、最期の砦であり、立ち直るきっかけにもなるのです。お金や地位では、力不足なのです。

感情こそが人間の核であり、人間を発展させる源だと思います。「一人で死んで」と斬り捨てるのではなく、犯人は、被害者は、どういう感情なのか、ということを考える人が一人でも増えることを切に願います。


参考文献

身近にいる「やっかいな人」から身を守る方法

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