つくづく人にお金をあげてはいけないんだなと思った

はてな匿名ダイアリーに、「贅沢な生活って何が楽しいの?」という投稿がありました。書いたのは年収1200万円ほどある30代独身男性。相続した家があるため家賃がかからず、贅沢をしたいわけでもない。貯金がどんどん溜まって金融資産は2億円を越えるようです。

そんな彼の悲しいエピソード。

近所の児童養護施設に100万円ほど寄付したところ、後に寄付のお願いが多方面からおびただしく来るように。借金を申し入れてきた知人に「返さなくていい」と50万円あげたら、次は1000万円の保証人になれと迫られた。200万円貸した親戚とは音信不通だ。
引用 
「贅沢な生活って何が楽しいの?」――年収1200万円、資産家の独身男性の疑問に注目集まる | キャリコネニュース

なんということか。善意でやったことがタカリのきっかけになるとは。でもこれは仕方のないことなのだと思います。

人は安易な方へ流れていく

いつだったか「無料の弁護士」のお話を書きました。

まず、貴方は困った問題を抱え、誰かに解決策を尋ねたいとします。

例えば弁護士に、法律的な質問をしたい。
そのとき、どうしますか?

たぶん、インターネットで検索して、無料法律相談や法テラスに頼るでしょう。
そこで、自分の問題を解決できる糸口を探します。
貴方の本心は、この問題を出来るだけ費用を抑えて(無料で)解決したい。

そこで、運良くとてもいい弁護士に当たりました。
弁護士のアドバイスにより、弁護士費用を出さずして問題は解決しました。
そのとき、貴方はどう思うでしょう。

”お金がなくても、この弁護士さんを頼れば、問題解決が出来るんだ。”

未来、同じように法律家に相談する場面が出てきたとき、迷いなく、この無料で
対応してくれる弁護士を頼るでしょう。


貴方のような心優しい人ですら、人の善意が無料なら、無料で利用したいと思うの
です。つまり、人とは、自分が痛み(この場合は費用を出すこと)を持つことなく、
いい思いをしたい動物なのです。

軽んじられている・バカにされている・利用されているとお悩みの方へ - 心の流れBlog

同じように、この人に頼めばお金を出してくれると思うと、その先も同じことを期待してしまう。タカリにくる周りが悪いのではなく、人とはそういう生き物なんです。

心理的なことにも当てはまる

これは金銭に限りません。心の世界でも同じ。

頑張ってダイエットして、メイクの勉強をして「美人だね」と言われるならともかく、元から美人で「美人だね」と言われると、美人扱いを受けることを期待してしまう。だから普通扱いをすると、烈火の如く怒ります。

芸能界でも、たまたま売れた芸能人が、売れたことを当然として、おだてられるがままホイホイのった結果、ちょっとでもぞんざいな扱いを受けると、超不機嫌モード。あげく裏方さんをアゴで使い、周りからはあきれ顔。よくある話です。

お金だけじゃなく、褒めやおだてといったことでも、「あって当たり前」が起きるのです。

棚ぼた的なお金はあってはいけない

お金は誰かが何かをしたときに、見返りとして与えられるものです。
何もせずして見返りを得られたとしたら、得るための大変さが分かりません。お金を軽く考えてしまい、散財してしまいませんか?

有り難みがあるから、大切に使う。苦労して手に入れたから、十二分に使い方を検討する。
つまりお金を手にしただけでは意味がなくて、そこに至る努力や苦労まで噛みしめられてこそ、生きた使い方ができるのです。

ですから安易にお金をあげてはいけません。借金を申し込まれても、カンタンに渡してはなりません。
いくら貴方の前で殊勝な顔していても、お金が手に入った瞬間、頭の中はお花畑になるんですから。

それぐらい理由なくお金をあげるのは危険な行為なんです。