ブログを通じて知った孤独

今までなんの気なしに自分の感じたこと・思ったことをだらだらと発言してきた。
そのこと事態に何の疑問も持たなかったし、なにより自分の驚いたことや嬉しかったことに賛同して欲しかったから。

 でも、言葉は他人のために発するものだと思ってからは、垂れ流しの自分の感情にずいぶんとつまらなさを感じてきた。

いつだったかブログで書いたように、私が喜んでいる時相手が不幸のどん底ってこともあるのだから。
のーてんきな私の言葉に誰かが傷つくかも知れないと思うと、少なくとも垂れ流しだけは控えたいと思うようになった。

その点ブログはいい。
私が特定の誰かに何かを伝えるために自分の気持ちを書くのではなく、ただ無責任に空間に向かって、否自分の内面に向かって、思うことをつらつらと綴る。
ネットの向こうの人々は、私の言い分を見たくなければスルーする自由がある。
反応する義務がない。

今自分は一つの過渡期を迎えようとしているのだと思う。
しゃべりぃ~で、自分のこと分かって欲しがりぃ~で、「我」を押してきた人生から、見ること・聴くこと・引いて考えることに重い気をおいた人生に変わりつつある。
今までの価値観がデーンってひっくり返って、自分を突き動かしていた情動がすぅ~って消えて、そして新しいモチベーションが生まれる。

ずっとずっと私を理解してくれる誰かを求めていた人生。
でもどっかで気がついたのかも。あーー、何処まで行っても一人だし孤独だよって。
理想郷として求めていた「繋がり」はただの「融着」でしかなくて、それって「我」を失うことなんだよって。

-受身ではなく礼を持って佇む-のニュアンスに一歩近づいた気がする。