社会は弱き者を見捨て、強き者を助く

社会の仕組みというのは、弱い者を食い物にし、強い者を応援するのだとイヤでも思い知らされます。

その一つが契約です。

契約はどちらかが契約書を作り、どちらかが了承するというパターン。
会社対個人の場合、会社が契約書を用意する。
当然ながら、会社には法務部門があり、専門家が会社の利益になるような契約書を作成します。
そして個人には、「ハイ、ここにサインしてね」で済ませる。

でも実際はこれで個人はちまちまと書いてある大量の文言を承諾した証拠のできあがりなのです。
日本では、契約の自由が認められているので、多少のことなら会社に有利なことが書いてあっても、認められます。
個人が「えー、これって変じゃないの?」と問いただしてもサインした後ならば、ひっくり返すことはまず難しい。

つまり知識は持った者勝ち。利用した者勝ちなんです。

ちょっと前に生活保護を申請した女性に対し、性的な要求をした市職員がいたことが報じられました。
それだって、女性が人権侵害だと理解し、証拠を用意し、即警察に届け出れば、悔しい思いをしなくてよかった。でも、その手段を知らないから、知識がないから、生活費のために我慢を強いられる。

知らないということは、いかに自分の立場を危うくするのか、我々はよく知らなくてはならないと思います。

基本的に人は自分の利益のために動きます。
他人のために尽くす善人のような人であっても、そこには必ずその人の得になる物が潜んでいる。
必ずしも分かりやすい形でないかもしれないけれど、どこかに利益はある。

だから他人が優しくしてきたとき、自分に理解を示してきたときは、何がこの人の利益なのかを良く知っておくべきです。
その利益を与えて尚、自分にも十分益があれば、取引していい相手。

でも利益が見えない、隠されているときは、要注意。
世の中に、いい人なんていません。
人間は、人間くさい。
そこは覚えて置いた方がいいでしょう。

だから社会は弱き者から得るものがないと、見捨てるのです。