欲しいものを与えてくれない相手には興味がわかない

人は無意識ながら、欲しいものを与えてくれる人には好感を抱き、与えてくれない人には感情そのものを抱かない。
欲しいものとは、「もの」ではなく、安心感だとか、承認してくれることだとか、共感してくれることである。

その人に会えば、なんらかの感情的報酬がもらえることが分かれば、人はもう一度会いたいと思い、連絡を取る。

与えることの出来ない人は、そのように他人に会いたいと思われることがない。もしくは別の目的、たとえばSNSで生活が充実していることを周りの人にアピールするための手段であったり、寂しさを紛らわせるためのおつきあいだったりを求められる。

人間は繊細に出来ているので、なんとなーく、「私」が求められているのか、「誰かと会っている事実を残すお手伝い」を求められているのか分かる。
故に、人に誘われた、人と会ったからといって、いつでもなんでも充実を感じることはできない。
なんとなく、後味悪く終わる。

考えてみれば、私自身、人に欲しいものを与える力がなかったので、後者の目的のために人に使われていた気がする。
それでも、ひとりぼっちよりは良かったので、違和感を抱きながらもホイホイついて行っていた。

でも、そんな人間関係長くは続かない。
離れてしまえば、境遇が異なれば、相手も私に声を掛けることが面倒になって離れていく。
そして、私は忘れられて一人になる。

最近それも悪くないかなと思う自分もいるのだけど。

一人になって、反省する時間が増えて、自分の何が足りなかったか、何を満たせばよいのか、考えるようになった。
そして自分に圧倒的に足りない力を補うためには、一つ一つ問題を洗い出して、対処する以外ない。

立ち止まることもまた、大切な未来を作る作業なのだ。