ツボな心遣い、疎ましい心遣い

自分を冷静に見てみると、無駄な心遣いが多い。
人に嫌われないように、気の利かない人と思われないように、という動機で心遣いをしている。
そういう心遣いはされた方がいやらしさを感じて、素直に喜べない。

一方、デキる人や好かれる人は、相手のツボをついた心遣いができる。

心遣い一つ一つは地味だ。
ちょっとした言葉がけや遠慮、そして察する力。
そういう心遣いはされた方が優しい気持ちや納得した気持ちを感じることができる。

そして、突き詰めれば自分というのも他者の一種である。
自分に対して、自分のツボを押さえることが、いい心遣いができる一歩だ。
たとえば太っている、時間の使い方が下手、そんなことにやや後ろめたさを感じている自分がいるとしよう。
そんな自分になにをしてやれば、ツボをつけるのか?それを考えてみる。

弱い人ほど他人の目が気になる。
ならば他人の目が届かない自身に対してなら、人の目を気にせず心遣いを実践できるのではないだろうか。