○○テク(テクニック)!という言葉に疲れてきた

本屋で背表紙を見ていると、「○○テク、必勝法!」のように「テクニック」を売りにする文言を見かける。
この「テク」という言葉を見る度、どぅや!!という表情をした著者の顔が浮かんできて、げんなりする。

 物事にはコツがある。

コツを押さえるか押さえないかで、結果に大きな差が出る。
だからコツを掴むことを否定しているのではない。

ただテクニックに走りすぎるきらいがあるように感じるのだ。
目的があって、手段がある。
テクニックに走ると、目的が消失する。私はそこに懸念を抱いている。

どぅや!という顔は、できりゃーええんだろという雑な概念が極大した様を呈するようであり、人間の浅はかさを如実に表している。
心理テクニックが優れていれば、人を愛する気持ちは失せて良いのか?ゲーム攻略テクニックが分かれば、友を失っても良いのか?

もともと人と人を円滑にするためにテクニックが介在しているのである。
テクニックがあるから人とうまくいくと考えるのは、よほど自信のない人間のやることか、もしくはおごった人間のやること。

コツという言葉に抱く私のイメージは、「人間がいて次にコツ」というように主は人間であることを保証されている安心感がある。
対してテクニックというのは、人間に敬意を払わず「優れていれば勝ち!」といった鋭すぎるナイフのような危うさがある。

人が人を思うこと以上にすぐれたツールなどない。
今まで発見され、生み出されてきた全ての叡智(ツール)は人々の生活を豊かにし、争いを減らすための手段だったハズ。
ツールばかりに頼らず、目的を明瞭にしてから物事に取り組むのが賢者の姿勢ではないかと思う。