愛想笑いをしている自分に気がついた

半分回る回転寿司に行ってきました。
食べたいネタが回ってないときは、カウンター越しに注文します。
昨今はタッチパネルで注文するスタイルが浸透してきていますが、こちらは旧式。
「勇気を出して」欲しいネタを注文せねばなりません。

 お正月休みの方が多いためか、ほぼ満席。

私たちの左横には親子らしき3人の女性が座っています。
その内のお一人が大変美しいお顔立ち。見とれてしまいます。
カウンターの中にいる男性(店員)にはひっきりなしに注文が入り、せわしくしゃりを握る手が動いています。

さて、私は一通り回っている皿のネタを見終わったところで、欲しいネタを注文します。
一回目の注文。
さらっと上手く注文できました。

二回目の注文。
男性の店員の動作とかち合ってしまったため、注文が通りせん。
仕切り直して、もう一度注文。
通りました。

その間に美しいお顔立ちの女性に男性店員が「欲しいネタありますか?」と聞きます。
あれっ?私にはそんな対応じゃなかったぞ。
内心傷つきました。
そして三回目の注文のとき、私はナント愛想笑いを浮かべたのです。
無意識に。
ビックリしました。

傷ついた自分がもう一度傷つくのを回避するために、私は無理に笑顔を浮かべた。
平気で自分を裏切ったのです。
思い返せば、作り笑いしょっちゅうやっていました。
自分じゃない自分を作り上げて、その場を繕って、なんとかやり抜いて無表情に戻る。

自然と出る笑顔ではなく、その場に入れてもらえないから仕方なく笑って相手のご機嫌を取っているのです。
思考をさらに深めると、あまり好きではない相手にこれ以上嫌な態度をされてコチラが不快にならないように、物を贈るなどのへつらいを過去にやっていたと気づきました。

どんだけ保障行動バリバリ?!

私は自分に自信がないのだと思います。
それ故に自身に包装をして、ちょっとでも見た目をましに、価値ありそうに見える様にしてきた。
己の心を殺しながら。

こんなの私が私を気持ち悪く思うだけ。

心がそこにしっかりあれば、たとえしかめっ面であろうとも、潔さが心地よい。
必ず笑顔である必要はないのです。
ウソをつく人間の方こそ、姑息で小物感とエセ臭さが漂います。

要らぬ繕いを棄てて、必要なものを見抜く心眼と嫌われても自分に正直に、と同時に他者と自分を同等に扱える自分であるために、この瞬間から心を磨き上げる必要があると思うのです。