言葉の選び方によって変わる印象

知恵袋の質問を読んでいたときだ。
ある言葉が突如、自分の中に飛び込んできた。

「歓迎します」

ある人が情報を欲しくて知恵袋に投稿をした。
どんな情報でもいいからほしい。
それを伝えたくて、最後に一文加えたのだ。

どんな情報も「歓迎します。」 と。

通常であれば、
どんな情報でも「結構です。」 と書く。

でもこの人は「歓迎します。」と書いた。
この違いはなにか?

「結構です。」という言葉は、無意識に自分というバリアがあって、その外に情報をくれる人がいるという構図をとっている。

相手に対して一定の警戒をしているのだ。
それゆえ不必要に近づかない。

「歓迎します。」という言葉は、自分の腕を広げていらっしゃ~い、どんな情報も待っていますよ~♪という構図である。
しっかりと自分をもっているので、他人を受け入れる準備が整っていますという状態。
相手が望めば、ある程度距離を詰める意思がある。
そして、もちろん距離が近すぎたら遠ざかる強さもある。

他者に対する自分の臨み方が違うだけで、このように言葉の違いが現れる。

もう一つ例を挙げよう。
旅館を営む経営者は「お越しいただき」という言葉を使う。
一般の人は、相手が来たくらいに思っているので「来られた」という言葉を使う。

前者は明らかに受け入れる姿勢に対し、後者は事実を丁寧に述べたに過ぎない。自分から歩み寄る姿勢がみえない。

このように言葉というのは、自分の心を映す。
ドーンとそこに据えて受け入れる余裕のある人の言葉は、聞く人々に安心感を与える。
昨今のドラマでいうならば、下町ロケットの財前部長のような感じ。
かなりの苦労を経て転換期を迎えた人間だけが、あのようなどっしりした言葉を使えるようになるだろう。

でーもー、
私は敢えて見つけたい。
誰しもが、ドーンとなれるコツを。
佐々木圭一さんが伝え方のルール見つけたように。