使う言葉で人を見分ける

泉谷閑示先生に影響を受けて、日本語を注意深く聞くようになった。
その中で最近気になるのは

「~でしょうに」
「で、~」

前者は、さも自分の考えが世界の常識といわんがばかりの主張で、”そんなことも分からないのか?”と相手を馬鹿にする態度に見える。

この世の中に絶対はない。
日本では食事の時、道具を使うのが常識に対して、海外では素手で食べるのが常識ということもある。
ところ変われば常識が変わるように、個々の常識は違って当たり前。
それが分からぬような人とは距離を置いた方が賢明。

後者は、自分の口癖でもあり、テレビなどの公共電波でもよく使われている。
しかしながら、「で」を使うことで大切なことを切り落としてしまっている気がする。
「ていうか」に近いもの。
前の文脈の詳細を検討し、後の言葉に続けようという細心を捨てて、傍若無人に振る舞おうとする横柄さを感じる。
それは自分に対する裏切りであり、人の心を切り捨てる冷酷さでもある。

両者ともに他を退け自分の殻の中に閉じこもる言葉に聞こえてならない。
もっと他の言葉がないか?それを探したときに、自分にも他者にも優しくなれる。

捨てるのはカンタン。
拾い・育てるのは大変。
ただし豊かな実りをもたらすのは間違いなく拾う方だ。