「愛情」という名の暴力ってあるんじゃないか


あなたのことを思って…
親ぐらいよ、こんな風に言ってくるのって…
心配なのよ、あなたが…

やたら愛情を前面に押し出して、構ってくる親を鬱陶しく感じることはないでしょうか。

その一方で、「親だからこそ、気に掛けてくれてるんだ」と思ったりして、思いが錯綜する。そういうにっちもさっちもいかない居心地の悪さを一回整理してみませんか?

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居心地の悪さの理由

あなたが親の言葉を鬱陶しく感じる理由。それはー

自分の陣地を荒らされてると思うから。

誰でも、入ってきて欲しくない領域はあります。それを「親だから」という一点でのみ、立ち入ってくる。最低限守られるべき人としての尊厳を、「親」という理由でなかったことにされ、「親」の前では「人にあらず」とされるのが、たまらなく嫌なのでしょう。

当たり前です。親の前であろうが、なかろうが、我々は人です。子供である前に、人なんです。

相手のことを思えば何を言ってもいいわけではありません。むしろ、「相手のことを思えば」という考え自体に手垢がついてることだって、あるんです。

相手を思うとはなんなんでしょうね。

「相手のことを思う」怖さ

「相手のことを思う」とは文字どおり、相手の未来を思い、より良くなるように願うことです。

ところで、この場合の「良く」というのはなんなのでしょう。

世間一般に照らし合わせて「良く」と評される事態を指すんだと思います。典型的なものが、学歴は高い方が良い、結婚はした方が良い、子供はいた方が良い。いちいち説明しなくても、みんなが「良い」と思うものが、「良い」ものです。

でも、その「良い」基準、危険ではないでしょうか。

というのも、これが成り立つ前提は、あくまで相手もその「良い」と評されるものを「良い」と感じるときに限られます。もし、世間一般の「良い」が相手にとって「悪い」のであれば、「相手のことを思って」やったことが、苦痛を強いることになりかねません。

学歴なんかより、手に職を付けたい人にとって、学歴を積みなさいと言われることは、自分の行きたい方向を諦めなさいと言われてるのと同じです。潔癖症で人とふれ合いたくないと思ってる人が、性行為を前提とした結婚を強いられることは、「心を殺せ」と言われてるのと同じです。生きてることに懐疑的な人が、次の世代の命を作ることを望まれたら、混乱します。

みんながみんな一緒の価値感のなかにいるわけではない。たまたまマジョリティーがそのような価値感を抱くだけであって、それに合わせなさいと強要することは、その人のその人らしさを全部捨てろといってるのと同じで、強制以外のなにものでもありません。

本当に「相手を思う」とは

真に相手を思うならば、なによりもまず、その人の心の奥にある「どうしたいのか」を整理するお手伝いをすることです。相手自身も、何をしたいのか分かってないことが多いです。その一つ一つを丁寧に引き出し、並べ替え、優先順位を付けて、その人らしい生き方を発見する手助けをする、それがなによりその人を思うことであり、尊厳を守ることになるのです。

その手助けの方法を知らないまま令和の時代まで突っ走ってきた私達。だから、「相手を思う」を、相手が「世間一般から冷遇されないように自己を守ること」と勘違いしているのです。

既に回答が用意されてるようなチープな考えで「相手を思うこと」など出来はしません。慎重に、頭をフル回転させ、相手に立ち入ることなく、相手の気持ちを後押しする、骨の折れる仕事です。

「相手を思う」とは、一緒に考えることに労をいとわない態度そのものだと、私は思います。

親の愛情を疑え

あなたが親からの愛情を無碍にできないのは、「周りの人は自分がどうなろうとしったこっちゃないと思っている、ゆえに口を出さない。でも、親は私を気にしているだから、口を出してくる」、と思っているからではありませんか?

確かに周りは、あなたが低収入でやりくりに苦労していようとも、独り身で将来どうなるか分からなくても、関係ないと思ってることでしょう。でも、その反対が、「良い」レールに乗るよう迫ることではありません。

相手の望む未来を一緒に考えてやることです。

これからの時代に向けて、新しい価値感の中で、我が子はどのように羽ばたきたいのか、どのように生涯を設計したいのか、そのためにはどんなハードルが考えられるのか、一つ一つ一緒に考えてやる。これこそが、「愛情」です。

そういう「愛情」受けたことありますか?たぶん、ないですよね。あなたが受けてきたのは「愛情」という名の強制、すなわち暴力です。

暴力を愛情と勘違いしている。暴力を受けても、「こんな私に構ってくれるのは親だけ」と思い込んで、「暴力」とは思えない。だから苦しいんです。一緒にいると疲れていくんです。

あからさまに親に向かって「暴力反対!」と言う必要はありませんが、心の中で「これは愛情なんかんじゃない。私を思い通りの方向へ無理矢理いかせようとうする暴力なんだ」と分別を付けましょう。

心の眼(まなこ)を見開いて、エセ愛情とホンモノ愛情をしっかり見分けてみるのです。
「愛情」という名の暴力に屈しないで。影ながらそう願います。