なぜ婚活は見た目から入るのか?

ーどうせ、美人が得でしょー
ーイケメンしかお見合いが成立しないー

そういって見た目から入るのを揶揄する人がいます。けれど、見た目って思ったよりたくさんの情報を発してるんですよ。単にカッコイイ、とか、好きとかとは違う、将来やってく上で欠かせない要素を表しているんです。

どんな情報なのでしょうか?

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家庭のあり方

婚活は(いちおう)異性同士で行います。ということは、男性は男性らしく、女性は女性らしくが求められます。服装や髪型は、お互いがその「らしく」をどれだけ意識しているかを表します。

マッチョな体型にパツパツのウェアの男性は男性らしさを追求しており、同じくグラマーな体型に胸の開いたニットを着る女性も女性っぽく見せようとしています。ともに性差への意識は高いと考えられます。

意識が高いということは、家庭における役割は、性別によって振り分けられることを示唆します。いわゆる昭和的な考えの持ち主。

反対に性別をぼやかした服を着ている人の性差への意識は低く、男っぽさ女っぽさよりも気楽さを求める傾向があります。

家庭における役割は、お互いの得意不得意や、時間の融通で振り分けられます。こちらは今どきな考えとでもいいましょうか。

格好ひとつにも、希望する家庭のあり方が現れています。

客観性の有無

骨格や顔の作りは人それぞれ。専門家がついて「あなたの骨格だとこの服が似合います」とアドバイスしてくれるわけではありません。だからこそ自分の身体的特徴を捉え、どんな欠点があるかを掌握し、じっくり研究する。そうやって外からなんども自分を見ていると、自らを客観視する力が身につきます。

もちろん清潔感も鍛えられます。清潔感にありがちの勘違い、清潔にしているから大丈夫ではなく、清潔に見えるとは何かを考えられる。たとえば髪一つとっても、毎日洗髪しているからいいやではなく、スッキリと切りそろえようとか体質にあったシャンプーを使おうといったことへと意識が向くのです。

「自分がどう思うか」ではなく「他者からどう見えているか」という客観性を持てることはとても大切で、そういう見方ができるからこそ、一方的に押しつけるのではなく、こちらの話にまともに耳を貸してくれるのです。

思いやりの有無

美人がなにゆえ美人かというと、磨きをかけたらもっと美人になれると分かっているからです。自分への期待は大きく、自らを大切に思っていて、自分への思いやりを欠かしません。

そういう人は、自分だけでなく、相手にもそうします。普段から「相手を大切に思うこと」がクセづいていますから。

誰でも認められたり、褒められたりすると、生きる力がみなぎってきますよね。だから美人のそばにいると、心の美しさ(思いやり)に癒やされる。

美しい見た目は眼福をもたらす以上に、思いやりにあふれ、相手を認めたり褒めたりする優しさを持っていることの表れです。

誰かのせいにするのはよそう

我々が見た目を通じて理解しているのは、①性差の意識と②客観性の有無、そして③思いやりの心です。これらがそなわっていれば「家庭や社会に上手く溶け込め」ます。

当然お付き合いしましょうとなるでしょう。

見た目というのは、単なる好き嫌い以上にこの「上手く溶け込めそう」が上回ってる気がします。ただし意識の上ではこの複雑な思考は認識されず、好き嫌いという形に変換されるので、私達は見た目に左右されてる、と感じてしまっているのです。

だから見た目に左右されることは、ちっとも単純じゃないし、ワガママでもありません。無意識にこの先お相手が自分を含む周囲とやっていけそうか、見てるだけなんですよ。

ということは断られたときは、自分の見た目のどこが「上手くやっていけなさそう」と映ったかを考える必要もありますよね。

「相性です」で片付ければ、ラクチンです。しかし過ちを繰り返して、宝くじばりに運を天に任せていいんでしょうか。何かや誰かのせいにする前に、自分で出来ることを探した方が、確実に結果に結びつくのではないでしょうか。