家事をやったことのない人ほど文句が多いという事実

家事で困ったことはありませんか?

せっかくしっかりと洗ったつもりの洗濯物が臭う…
毎日急須をキュッキュと洗い上げているのに、しばらくすると黄ばみがでる…
丹念に掃除機をかけたのに、拾い切れていないゴミを見つける…

ちゃんとやったのに、気をつけたのに、出来ない。

小さくショックを受け、もっと上手くやれる方法がないかを探す。毎日がその繰り返しです。
こんな風に「困った」ことのある人は、一手間加えるだけで劇的に改善するならと、諸手を挙げて取り組みます。

ところが滅多に家事をやらない人は手間を嫌います。「そんな手間なんてかけてられないよ。もっと簡単な方法ないの?」と。

やらない人ほど文句が多く、やる人ほど謙虚に助言を受け止める。
なんででしょうね?
この矛盾について、考えてみたいと思います。

脳はサボりたい?!

家事をやったことのない人は、家事で落胆したことがありません。落胆しないということは、改善したいという意欲が湧かないことでもあります。意欲もないのにやることだけが増えたら、そりゃ嫌ですよね。

誰だってラクしてよい結果を手にしたい。
あんなに情熱的な恋愛であっても倦怠期が訪れる理由を中野信子先生は次のように言っています。

人間の脳はとても怠惰なものですから、脳を使いたくないんですよ。
wotopi.jp

恋愛でそうなら、家事なんてもっとそう。脳を使いたくない。脳が指令する器官である手足も使いたくない!!

「困る」は新しい自分になるきっかけ

先ほど申し上げたように意欲というのは、落胆によってつくられます。少なからずショックを受けて、そのショックを回避したいがために意欲が湧く。

つまり「やって、失敗して、ショックを受ける」という経験&反省が必要です。
家事をやらない人ほどショックによる打撃が少ないですから、回避したいという欲も低めです。

つまりそれだけ真剣に回避しようという思いに至っていない。
思いが薄い人ほど、自分に都合のよい結果を期待します。

あっ、あれです。勉強を必死でやってない人ほど偏差値の高い大学を夢に見、婚活を真剣にしていない人ほど高望みしたがる、に近い。
「困る」って悪いことばかりじゃないんです。「困る」から発展する、「困る」から新しい技が編み出される。

「困る」は新しい自分を獲得する良ききっかけにもなるのです。

困らない人は横柄に映る

そもそもこの記事を書こうとしたのは、石鹸の第一人者である赤星たみ子さんのブログの記事がきっかけでした。

[洗濯を滅多にしない中年男性は (*追記)]「洗濯に15分もかけられるわけないじゃないか、この忙しいご時勢にっ! そんな無理難題ふっかけるんじゃねーよ!」と思うらしい。質問の言葉は「この忙しいご時勢にそれだけの手間をかけさせることに関してどうお考えですか?」と、ソフトだけど、内心は「やってられるか!」と思ってる節がある(顔つきでわかるって)。
akaboshi.exblog.jp

おいおいって感じですよね。これは洗濯をする奥様ではなく、滅多にしない夫様の思いらしい。
きっと洗濯をする人からみれば、「何様?!」と反感を買うことでしょう。

どうすれば解決するか、ではなく、なんとかしろオマエ、という態度がとても横柄に見える。
これは現役時代の役職を自分の器と勘違いした定年後のオヤジに通ずるものがあります。

実るほどこうべを垂れる稲穂かなの意味

このようにやったことがない人ほど、他人任せでふんぞり返る傾向があります。

それは言わずもがな「困る」ことがないからです。
「困る」ということは、「自分が解決しなければならない」という覚悟から来る感情です。

ちゃんと「自分」という主体があるから、「困れる」わけです。
「困る」という事態に立って、”あぁ、まだ自分はもの知らずだ、勉強不足だ”と思うから謙虚になれる。

知らないということを知る、ということは、知らない事態に直面してこそです。

旅行の計画や飲み会の計画をしない人ほど主催者の文句を垂れ、反対にいつも計画する人ほど代わりにやってくれた人に厚くお礼をするのはこのためです。

文句の多い人は可哀想、という見方をすれば

態度ばかりが偉そうで、横柄な嫌われ者は、たぶん何事も成しえていないしょうもない人間です。
スキルもなく、人望もなく、ある意味で悲惨な人生を歩んできた人です。

その悲惨さを補うべく、他者に「オマエなんとかしろっ」とせっついている。
どんだけ他人任せですか!!

まぁこういう人に「オメェなんもできないから黙ってろ」というと、彼らは悲惨な人生に追い打ちを食らったように感じて逆上するので、「○○をやってくださいね」と静かに【お願い】することです。
ついでに面倒でもお願い事が終わったら、「助かりました」とでもいいましょう。

文句の多い人の経験不足と小心ぶりを見抜いて、それ相応のあしらい方を身につければ、家庭内のストレスも少しは減るんじゃないでしょうか。