アダルトチルドレンは完全なる回復を目指さなくてもいいのでは?

偶然目にした救急医の生死観に自分の誤りを正された気がした。

人の生き死にの瀬戸際に立ち会う救急医は、必然的に多くの患者の死を看取ることになる。角さんは自身が新米救急医だった頃と比べて、「助からない」ことに抵抗しなくなってきたそうだ。これは諦めとは違う。培ってきた経験と医学的な根拠によって、医療の限界を早めに察知するようになる。それは「命を救う」から「納得のいく最期を迎えられるようお手伝いをする」ことに意識を切り替える瞬間でもある。
ダ・ヴィンチニュース 「助からないこと」に抵抗しない?1分1秒を争う救急医の驚異の判断力

太字下線部の一言が胸に突き刺さる。
ともすれば、我々は自分の望む方へひっぱろうとするが、やはり逆らえないものは逆らえない。そのときどれだけ素直に切り替えられるかーそれが心の強さを試される瞬間な気がする。

本当に強い生き方を目指すのなら、アダルトチルドレンの回復にもそのような切り換えが必要ではないだろうか?

アダルトチルドレンにおける切り替え

父が父の、母が母の機能をした家族の元で育った人間と、両方もしくは片方が機能していない家族で育つ人間、当然発達に違いが出る。
だから幸福の回路が刺激された脳と、不幸の回路が刺激された脳を同率に扱うことはできない。

事実、福井大学の友田明美教授により、虐待による脳の萎縮が確認されている。

もしACが遅れた発達を取り戻そうとするならば、萎縮された部分を元に戻さなければならない。ただ、脳は一度出来上がってしまったら変えられない部分も存在するため、まったく同じ形に変わるか?は、はなはだ疑わしい。

それよりも先の生死観のように、抗わないことの方が大事なんじゃないだろうか。
すなわち持っていないものは持っていないとして諦め、これから持てるであろう能力を磨いていく。これならば、「出来ない」と悩むことより、「これをやろう」という前向きな気持ちが生まれる、と思うのだ。

病気の意味を汲む

私に当てはめて恐縮だが、今ある障害を障害として受け入れ、無理に元に戻ろうとしない、それより、もっと身体の声、心の声に耳を澄まして、「あっ、今疲れてるんだね」と労ることを増やしていく方がいいのではないかと思うのだ。

身体症状が出ている人も、出ていない人も、「今のままじゃダメだ!」と思うと胸が締め付けられるんじゃないだろうか。
今、その状態があるのは、必要だからあるのであって、やはりそのお困り事にはなんらかの手当が必要なのだから、そこをじっくり診てやる。

機能している家族に憧れ、それになろうとしても、しょせん私たちは凸凹家族の出身なのだ。なかったことにはできない。

無理に機能している家族と同じを求めず、かといって諦めず、ありのままプラスアルファくらい気持ちでやっていくのが、結局一番の近道なんじゃないか、と思う。

「抗わない」って大事。