口ぐせが「ありがとう」ではなく「すいません」になってしまっている理由

何かしてもらったら「すいません」、接頭語に「すいません」。
そうやって、いつもいつも「すいません」って言ってませんか?

「そういうときは『ありがとう』っていう方がいいですよ」って言われても口からでるのは、やっぱり「すいません」。なかなか治りません。

ではあなたの中の何が「ありがとう」ではなく「すいません」を採択しているんでしょう。ちょっと考えてみませんか。

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「すいません」から得られるメリット?

「すいません」っていうとき、何を期待しますか?
ー謙虚な人物って思われること、下手に出れば応じてくれそうという期待、取りあえず角が立たないってことー

そんなもんでしょう。ようは穏便に済ませたい。「すいません」というのは、最初から白旗あげてるようなもんですから、敗戦者を槍で突く人がいないように、相手はマイルドに接してくれる、と思っている。

「すいません」はそれなりのメリットを見越して、採用しているわけです。

でも、それは単なる表層理解ですから。ここからが本丸ですよ。

なぜ穏便さを求めるのか?

穏便っていい響きじゃないか~。そうですよね、ムダにエネルギーを消費することなく、気分を害したり害されたりすることなく、すんなりと済む。

でも、裏を返せば立ち向かう力がないから、最初から穏便路線を狙っている、とも言える。すなわち、自分に対する実力のなさを見込んで、のこと。

そんなにあなたには実力がないんですか?まともに検討したことあります?

たぶん、ほとんどの人が「ない」と答えるでしょう。今まで生きてきた中で、なんども声の大きい人、態度のデカい人に押し切られて、その経験が「私、実力ない」という思いを強くさせてきたというだけで、いまだ真偽のほどは不明です。

そこで「実力がある」と思える根拠について考えることにします。根拠、根拠、根拠。

はい、ナイです。あえて言うなら「自分は大丈夫、デキる!」と思うこと。ようは思い込みです。でもこの思い込み、ちゃんと育てられたからこそ身についたと言えます。

親に「やってみなさい。見ててあげるから。」と励まされて育った子供は、どんなことにも挑み経験を積む中で、根拠のない「自分は大丈夫、デキる!」という思い込みを固めていきます。その固まりが、ビクビクする自分を堂々とさせてくれる。堂々となれれば、場にあった言葉をチョイスする余裕ができ、「ありがとう」と「すいません」を適宜使い分けられるようになります。

一方で「失敗は許さない。絶対にミスするんじゃないわよ。」と脅されて育った子供は、どんなことにも回避的な態度を見せ、リスクヘッジを取りたがります。だからまず謝る。謝っておけば最悪の事態は免れそう、と思うと、ビクビクする自分をなんとかなだめることができるのです。これは生きていくために導き出した彼らなりの精一杯なのです。

つまり親にどういうアプローチを受けたかで、余裕のある自分か、精一杯な自分かが枝分かれしており、それが口ぐせに表れているのです。

クセだからと軽んじずに

だから「すいません」を「ありがとう」に変えることは、それに抵抗を覚える人にとって有効策とは言いがたい。もっと根源的なアプローチ、「失敗は許さない」という批判的な考えを遠くへポーンと飛ばしてしまうことの方が先です。

ですが、そう簡単にできるものではありませんから、プロの手を借りたり、本を読んだりして、心の作り直しを図る必要があるのです。

クセだからしょうがないではなく、クセにはクセなりの存在理由があります。その理由は今のあなたにとって本当に有効なのでしょうか?

惰性で今までどおり口ぐせを続けるのを悪いとはいいませんが、自分に不満があるのなら、口ぐせ一つにも意識を向けてみましょう。その口ぐせから、今の自分に必要なものが見えてくることもあるのです。