サービスの「感想」を求めるのは一種の脅しじゃない?

物を買ったり、サービスを受けた後、その業者から「よかったら、感想をお聞かせください」というメッセージを受け取ることがあります。
これ、どう思いますか?

感想を伝えるのは自由です。でも「感想を求める」のは脅しのように感じる。感想を促してやってるんだから、なんか返せよと。

相手の自主性よりエゴを優先する業者

その「なんか返せよ」が、どうも行きすぎているように思うのです。

人は良い物に出会うと、自然と広めたくなります。良い物はみんなで分かち合いたいし、それがいいものであるほど私の選択眼は確かだと評判が上がるから。いいサービスであれば、自分と周りのために、勝手に好意的に動いてくれます。
そのわき出るような勝手さを尊重することなく、無理に感想ちょうだい、と急かすことは顧客の自主性を無視していることになる。

「○○商品いかがでしたか?感想を寄せください」のメールが受信される度、即、ゴミ箱へ放り込む自分がいます。

感想を求める側が出来ること

よりよいサービスを提供するために、客の声を集めることは、いいことです。感想の収集を否定しているわけではありません。ただ声の集め方に、相手を脅す要素を入れるようなことがあってはならないと思います。

業者はあくまで感想を書く場を用意するだけであって、「感想をください」と言ってはいけない。それは客が決めることです。客は誰に促されるわけでもなく、100%自分の意思だけで物が言える場を用意されるからこそ、本心を語れるのであり、そのホンネ具合が読んでる人に伝播して、商品の真価が明かになる。これこそが感想の持つ力ではないでしょうか。

そのためには、やはり業者は手を出しすぎてはいけない。自分と他者(顧客)の間に明瞭な線引きを行い、顧客の自主性に任せて、感想を待つしかないのです。もしどうしても感想が欲しいとインセンティブを渡して感想を促したとしても、「いい意見」しか集まりません。インセンティブがある時点でトレードの要素が出てきて、顧客は都合の悪いことを言わなくなってしまうからです。

やはり忍耐強く客の声を待つしかない。そのために、場を用意し、場を見つけやすいよう工夫をこらすことです。
たとえば、カルビーは製品の袋の裏に次のような表記しています。
_________________________________
お客様の声をお聞かせください
カルビー株式会社お客様相談室
〒100-0005 住所
フリーダイアル 0120-
受付時間
_________________________________

相手の嫌がることをしてはいけない

感想をお願いしていいかどうか、はとても繊細な判断です。
でも人々は繊細であることを忘れて、惰性の考えに基づき「感想をお聞かせください」と言ってしまっている。

面倒だからいつもの方法でいっか、と思うところに横柄さが見え隠れしています。いや、それどころかアフターフォローしているし、私たちは良い奴じゃないか、とうぬぼれを感じることさえある。
でも、客が話したくて「どうぞ」と促すならまだしも、「感想いえよ」と脅して無理に口に出させることのどこがフォローなのでしょう。完全にはき違えています。

声を拾おうとするのと、声に出させようとするのは、同じ [感想を得るゴール] を目指していたとしても、まったく異なるアプローチ。前者は敬意を込めた行為に対し、後者は侮蔑する行為。声に出させよう操作は、明らかに相手の領域に踏み入る行いです。

自分の利益のために相手を使おうとする魂胆は、やられたときを思い浮かべると分かると思いますが、すぐに見抜かれてしまいます。誰かの魂胆のために使われるなんて、誰だって嫌です。なのに自分がやられて嫌だと思うことを、業者の立場になったら平気でやるって、なんなんでしょうね。

幼稚園の頃に教わった「自分がやられていやなことは人にしてはいけない」がこんな処でも守られていないのか、と思うと、非常にむなしい気持ちに襲われます。