ひきこもりだっていいじゃんか!そんなに責めるなよ、と思うこと

部屋から出てこない、家から出られない
そういう人を指して、異常!とレッテルを貼ることに、どれほどの意味があるのだろう?

誰だって傷ついて殻に閉じこもりたくなることがある。それが素直な反応なのに、「いや、そんなの間違いだ」と決めつけ無理に連れ出そうとする。
その無理さを異常と感じない心こそ、異常だと思う。

我々は眠くなったり、活動的に動き回りたくなったり、バイオリズムに合わせて生きてる。同じように、落ち込んだり、喜んだり、感情の波に合わせて生きることは許されないのか。
少なくともビジネスがらみじゃなければ、自由に生きたって構わないんじゃないかと思う。

有名な人が全員学校に行って、友達と遊んで、部活も頑張って、という道を歩んでるわけじゃない。「成功」と「普通」とされる生き方とは必ずしも一致しない。むしろ小さい頃つまはじきにされたことをバネに活躍している人が多い。

ブリヂストンの元社長の荒川詔四さんは、現役時代、次のように部下に話していたそうな。

「順調にトラブルは起きるんだ。だから、報告はトラブルを報告すること」
引用 優れたリーダーはみな小心者である。

鋭く現実を捉えた指示だと思う。
順調なのは、トラブルが起きること、であって、何もないことの方が特別。毎日毎日なにかしらの予想外が起こり、それによって誰かが困ったり怒ったり傷ついたりする。だからちゃんと見て、どうしたらいいかを考える。
現実を生きるってこういうことなんじゃないか。

翻って我々。学生生活、社会人生活、そして家族生活、の中はどうだろう?
本当はここかしこで問題が起きているのに、目をつぶって「なんにもない、なんにもない」とやり過ごそうとしていないか。
もしそこで、「よし順調にトラブルが起きている」と思えれば、なにかしら違った形で対処できるんじゃないか。引きこもることでさえ、順調にトラブルが起きて、順調に自分は凹んでいると捉えられるんじゃないだろうか。

ひきこもることは、周りが責めるからいけないことのように思えるけど、人としては至極全うな動き。ちゃーんと安全を確保してるということなんだから。それよりかヤバいのは、無理に平気なフリをしてある日ポキっと心が折れてしまう方。平然を装う方が素直じゃないし、命を危険に晒してしまってる。

従来の価値観が邪魔して、みんなの頭が固いのは仕方がない。けど仕方のないものを仕方のないままにするのは、仕方なくない。
ちょっぴり頭をほぐして、「よく、引きこもってくれた!」くらいの発想をしてみてはどうだろう。違和感のある言葉かもしれないけど、傷ついて味方がいないと思っている人にとっては、援護してもらえたようで心強く感じるかもしれない。