いじめ問題の抜本的解決とは?

北海道で高校の運動部でいじめがあったが、顧問が保護者の訴えにいじめを否定するなど、不適切な対応をしていたとニュースで報じられた。
生徒は「キモい」「死ね」などと言われたり、無視されたりしたが、顧問は、生徒をかばわず、容姿を侮辱する発言をしていたらしい。
北海道の高校の部活顧問 いじめを受けた生徒をかばわず容姿を侮辱 - ライブドアニュース

世の中の尺度的にみると、顧問は生徒のケアし、いじめている生徒を注意すべきだった。でもしなかった。ここに顧問の精神的幼さが表れてる。
が、いくら顧問を叱責したとしても、改心させることは難しいだろう。叱責は心の成長にはつながらないのは、自分の経験上よく分かる。顧問の性格がひねくれていれば、叱責を機にもっとバレないようにいじめるにはどうしたらいいかを考えるかもしれない。

では、どうすればこの手の問題の抜本的解決を図れるのだろうか?

避けられない対立構造

あなたは誰かの姿をみて、ぎょっとしたことはないだろうか。たとえばケロイドの痕をみて、てっぺんハゲのおじさんをみて。

みることでストレスを感じるのは、人間の性だ。

一方で、親の不注意でやけどの痕ができてしまった、年をとったら頭のてっぺんがハゲてきた側の人間に立ってみるとどうだろう? 

理不尽に見た目を貶されて、苦しい。

この
見た目でストレスを感じてしまう VS 見た目を貶されて苦しい
の勝負、どちらに軍配が上がるのだろう?

先攻の見た目でストレスを感じる派の言い分は、「ストレスを感じさせる相手が悪い。だから相手を除くべきだ」。ようするにいじめられる人を退場させるのが一番の解決法、という意見。でもそんなことしたら、人権侵害になる。

後攻の見た目を貶されて苦しい派の言い分は、「好きでこうなってるんじゃない。だから相手は我慢べきだ」。ようするに恵まれてる人が折れるのが一番の解決法、という意見。でもそれも我慢を強いるという意味で緩やかな人権侵害。

どちらも、相手のせいで人権侵害を被ってる、と意見が対立している。

対立構造の消滅-弁証論

双方が人権侵害だと主張する場において、どっちの方が優先されるべき、という議論が無意味なことは、なんとなくわかっていただいてると思う。

だからといって放置がいいか、といえばそうでもない。
そこで先人の知恵を借りる。

これは午堂登紀雄さんというコンサルタントが、金持ち体質の人の考え方を述べたものだ。
ブラック企業に潰される人とは

自分の状況が不満である原因は自分ではなく会社にあり、自分が変わるのではなく、会社が変わることを要求しているために、自己の能力向上に意識が向かわないからでしょう。こういう人たちは、まじめであるがゆえに、自分の能力を高めることよりも、自分の権利を守ることに必死です。有休がとれないのはおかしい。残業が続くのはおかしい。こんな低い給料はおかしい。労働基準法違反だ。労働環境を改善しろ……。
お金持ち体質は会社をチャンスの宝庫と考える [ニューリッチへの道] All About

教室でも同じ事が起こっている。
見た目でストレスを感じる派は、美しくないものは排除する権利がある!と主張し、見た目を貶されて苦しい派は、そうはいってもすべての人は平等に扱われる権利がある!と主張している。

こういった権利を主張する者に対し、午堂さんは、「自分の能力を高めること」が問題を解決する方法だと言っている。すなわち、見た目でストレスを感じる派は見た目に左右されない柔軟な考えを手に入れるよう能力を高め、見た目を貶されて苦しい派は工夫して見た目を磨く能力を高めたり、見た目のハンディを超越する魅力を身につけたりしてみる。

こうやって「相手がどう」という意識を、「自分が今の(器量の狭い)自分をどう越えていきたいか」へとスイッチさせていく。
すると自分の可能性に目が向くため、相手へ向けられていた意識がなりをひそめ、対立色が弱まる。

このような手法が対立構造の消滅、すなわち弁証論的アプローチである。

いじめの解決方法とは

ものごとを分解して考えぬうちは、あっちがいいか、こっちがいいか、と二項対立で判断しがちだ。
わかりやすい例だと、草食系男子がいいか肉食系男子がいいか、独身がいいか既婚がいいか、などなど。

しかし二項対立問題に絶対的な正解など存在しない。
つまり正解を求めることこそ一番の無駄である。今回考えたように小さなヒントを頼りに改めて考えてみると、今までとは違った軸で考えられるようになる。

先の顧問はこれが分かっていなかった。教育者として知っておくべき、二項対立の無意味さを知らなかった。実習等で習わなかったのだろう。だとしても、生徒を指導する中で学ぶ機会は山のようにあったのだと思う。その機会をふいにしてしまったことが、一番残念な点に思う。

「学ぶ心さえあれば、万物すべてこれ我が師である」松下幸之助の言う通りである。