人に興味がなくちゃいけないのか?

相手と何を話していいか、分からない。そもそも人に興味がない。
といって悩む人がいます。

人に興味がないと、いけないのでしょうか?おしゃべりが出来ないのでしょうか?

世の中は自分をダメ人間扱いしすぎです。仲の良いという実情を覗いて、本当に省みるべきはなにか、考えてみましょう。

人に興味がある人なんている?

いくらおしゃべりしている仲だといっても必ずしも相手に興味があるとは限りません。むしろ興味があるのは話の中身。

たまたま共通の興味の対象があって、話題にあげたら盛りあがったってだけのこと。興味の対象が重なれば、自分の言ったことは相手の思ってることと一致し、「わかってるじゃん!」という感覚となって、相手と自分のなかに落ちる。

けれどもひと度、興味が違(たが)えると、お互いが急速に離れていきます。

これを避けんがために、一部の人は興味がなくとも、聞き役に収まることで孤立を防ごうとします。しかしながら、興味のないことを、あたかも興味があるかのように装うのは難しく、どこか表面的な反応となり、相手に不満を抱かせることになります。それゆえ、相手の中の自分の優先順位は下降の一途をたどり、お付き合いそのものが苦痛となって、結果的に離れる。

つまり、人と仲良くできることなど幻想で、どこまでも興味の対象が揃うことは起こりえないのだから、あなたの目にはどう映っていようが、仲良さが続いてるように見える人たちは、時に距離を詰め、時に距離を開け、それなりのお付き合いをしているのです。

仲良いように見える人たちが裏でやってること

というと、「私の周りには、ずっと仲良くしてる人たちがいます!」という声があがります。

確かに、互いが強く信頼で結びつけられている人たちはいます。では、その個々にスポットを当ててみると、付き合う相手の選び方が、自分と興味の対象が同じか、ということではなく、面白そうでまるごと受け入れたい人と思うか、を基準にしていることが分かります。

すなわち、人に興味があるのではなく、最初から興味をもてそうな人を選りすぐっているのです。そして興味をもてそうな相手と思ったなら、相手の言うことに耳を傾け、余計な口を挟まず、相手が相手らしく生きることを全力で応援しようとします。そうすれば、相手からみれば、邪魔にならず、かつ支援までしてくれるのだから、好ましく思わないわけがありません。

こうやって相手の好意を引き出すことのできる人が、信頼できる相手を獲得しているのです。

つまり、素のまま誰かと深く付き合うのは無理で、自分から働きかけて、相手に幸せになってもらいたいと思えるようになったとき、しっかりとした人間関係の構築に王手をかけるのです。

興味なんぞ持たなくて大丈夫

興味は持つものではなく、湧くものです。湧き方は、単にピンとくる人に出会うまで待つというのもありですが、相手の中にコレは!という光る所を積極的に見つけていくやり方もあります。その人の全部が気に入らなくても、光る一点に興味を抱けるようであれば、付き合いたい人に出会う確率は一気に上昇するでしょう。

一人は恥ずかしいことではありません。自分で決め、行動できる自立した証です。無理に誰かとつるもうとして、血眼になって相手を探そうとすれば、光るものを持つ人に出会うより前に、トンデモ人材を捕まえてしまうことになります。

じっくりと腰をすえる。そして人の光るものを探していこうと思える自分に成長させてあげることができてはじめて、仲を深めたいと思う誰かと出会えるのです。それまでは、こつこつと内面を磨いていこうではありませんか。

人に興味をもてないのは、悪いことなんかじゃありません。今はまだ人の光る所を見つけたいと思えるほど心が育っていないだけ。
育て方次第で、いくらでも人との繋がりを増やしていくことが出来ますよ!

最後に。人に興味を持てない人は、自分に対してダメ出ししまくりです。心当たりありませんか?