日産の元会長ゴーン容疑者が期せずして証明してしまったモノ

ゴーン氏逮捕のニュースから一夜明けて、事態が少しずつ明るみに出てきました。

人生とはこんなにも一寸先は闇なんですね。昨日はフレンチフルコースディナー、今日は身柄を拘束され警察でカツ丼(←想像です)とは。

ところで、ニュースを耳にした人は一度は「こんなにお金持ちなのに、まだ欲しいの?」と思ったのではないでしょうか。報酬20億円ですって。その1/100の2千万だって結構な額ですよ。

人はどこまでも金の亡者なのか、はたまた別の理由によるものなのか、考えさせられます。

ゴーン氏が求めていたものは何か?

高額の報酬に、投資すると偽って自宅を購入。金、金、金、金。いったいいくらあったら、満足の域に達するのでしょう。

ライバルは、MSのビルゲイツ会長?Amazonのベゾス?
でも彼らは創業者であって、雇われ社長なんかじゃないし。誰なのかは、本人に訊くしかありません。

ただ一つ言えるのは、彼が20億の報酬でも足りないと思っていたことです。

もし20億手元にあったら、何します?私達なら困ってしまいますよね。でもゴーン氏は困るどころか、もっと欲しいと思ったわけです。

こうなると、もはや金額の問題ではない気がしてきます。

彼の心の安定の図り方

前妻に対し首を絞めるなどのDVを行っていたと、報じられています。

暴力を振るうのは、一般的に思い通りにならないことを許容できない器量の狭さゆえ。事実、ゴーン氏に刃向かった人を子会社に飛ばしていたみたいですから、他の意見を受け入れようなどという懐は持ち合わせていなかったと想像されます。

他人を受け入れない態度は、周りへの不信感が元になっています。おそらく小さい頃に、人を信じられなくなった出来事に遭遇したのでしょう。その出来事が彼を孤立に押し上げ、誰の意見をもモノともしない強さを与えた反面、他人を許容する柔軟さを奪った。

どこまでいっても、彼に自分を安心させてくれるような場所はなく、絶対に自分から逃げない金という指標によって、心の安定を図っていたと思われます。

お金が与えてくれるもの

けれども、強く金を求め過ぎたことで、ルール違反を起こしてしまいました。頭が良く、冷静に見える人だったのに、肝心な所を見誤ってしまいました。人間に対してだけは「どうせ見破れやしない」と高をくくってしまったのです。それが自らの足をすくう原因となったのです。

ここで、いくら日本にお金を払います、罪を見逃してください、といっても、そうはいきません。彼が最強だと思ったお金は、自分の罪をチャラにするほどの効果はないのです。
お金はさして強力な解決ツールではなさそうです。

つまり今回期せずして彼が証明してしまったのは、お金がすべてではない、ということでした。

豪邸は何をしてくれるでしょう?高級車は何をしてくれるでしょう?
ちょっと良い感触を味わわせてくれて、羨望の眼差しを向けられるだけです。悩みのすべてを解決し、幸せに導いてくれると言い切れるような力強さはありません。一過的で、薄っぺらく、吹けば飛ぶような軽々しさです。

幸せは何を手にすれば叶うのか?

生活が送れる以上のお金というのは、思ったより、人を幸せにはしません。むしろ、自分という存在をまるごと受け入れてくれると感じられる環境の方が、ずっと強力。

その環境は、人の話をよく聞き、人を許容し、自分の方から一度は人をまるごと受け入れてみようとする柔軟性によってもたらされる。すなわち「対話」こそが幸せへの近道です。

「対話」が人と人をつなぎ、幸せをもたらしてくれる。そして「対話」ならば、お金がなくても出来ます。日曜ドラマ「下町ロケット」があんなに見ている人を勇気づけるのは、そこに対話しつづけようとする人々の姿があるからです。

佃製作所のみなさんと、ゴーン氏、どちらがホンモノの幸せを手にしているかは、言わなくても分かりますよね。

ゴーン氏は、大切なものを見逃してしまいました。そして今回、我々は大切なものを見逃した人のたどる末路を見ました。

お金に縛られて本質を見落とさぬよう、事件を見ている我々も気を引き締めていきたいですね。