「今日の敵は明日の友」が隠してしまった真実

「昨日の敵は今日の友」の意味するところは「人の心は変わりやすく、当てにならない」です。それと同じ意味の「昨日の友は今日の仇」は、あまり知られてません。

では、どちらがより現実に即しているのか、というと人付き合いの上手な人にとっては前者が、下手な人にとっては後者が、そうです。そして大半の人は人付き合いに苦手意識を持っている。

とすれば、ほとんどの人にとって「昨日の友は今日の仇」の方がしっくりくるはず。

あえて違う方が選ばれていることに、なんら影響はないのでしょうか。

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肝心なものが隠れてしまっている現状

我々の中に「どんな嫌いな相手でも、事情が変わると、仲良くなれるかもしれない」という思いがあるからこそ、嫌いなあの人にもきちんと気配りできます。

では、すでに仲の良い友人にはどうですか? 気が緩んではいませんか。 「まぁ、いっか」とテキトーに流したり、「許してくれるだろう」と自分に甘くなったり。

本当に大切にすべきは、すでに友人でいる人です。なのに、その人への気配りは、嫌いなあの人の半分以下。手に入った仲の良さに、メンテナンスを入れようとはしません。

このほったらかしは、深刻な影響をもたらします。無意識にしてしまった無礼にあきれ果てた友人は、友の衣をかなぐり捨て、敵の鎧に早々と衣替え。続くと思った仲の良さは、こうも簡単に壊れるのです。

だからこそ、「今、友でいてくれる人をおなざりにしない」を心しておかなければならない。「昨日の敵は今日の友」がメジャー化してしまったことによって、肝心なものが隠れてしまった気がしてなりません。

人付き合いは厳しい

なぜ人はいとも簡単に友人から敵へと変わってしまうのでしょうか。

それは私達は一人残らず自分を受け入れて欲しい、分かって欲しいと望んでいるからです。いつも大切に扱われたい。

ゆえに、テキトーな態度をとられたり、甘えられたり、といった大切にされない状態を受け入れることができません。なにをやってもらってもOKではないのです。フレンドリーではいてほしいけれど、わがまま好き放題はダメよ、自制してね、と。

各人が心の中にもつ自制のレベルはバラバラで、ある人にはOKでも、別の人にはNG!となります。それゆえ、どんなに仲がよかろうと些細なことで仲違いが発生します。

これは言ってみれば避けられぬ衝突でしょう。

現実に即した人間像

ひと度衝突が発生しても、じっくりと相手の話を聞き、自分の考えを述べる「対話」に臨むことで、衝撃を抑えることはできます。お互いがお互いの話に聞き入れば、おのずと答えはまとまっていきます。

しかしながら仲の良いほど、阿吽の呼吸になれてしまって、対話しようとしません。分かってくれるはずで押し切っていくと、次第に相手を嫌な気分にさせてしまって、離れられてしまいます。こうして通じ合っていた者どうしに距離が出来て、わかり合えなくなって、友が敵へと変わるのです。

けれどももし「昨日の友は今日の仇」が普及していたのであれば、このような馴れ合いは起こらなかったでしょう。どんなに仲良しでも、明日敵になるかもしれないと思うのなら、分かってくれるはずといった押し切りなど恐ろしくてやろうとは思いませんから。

この世に、楽な付き合いなど存在しません。ある程度以上はすっぱりとNOを突きつけられます。だからこそ、覚えておかなきゃいけないのは、仲良しこよし像ではなく、気を抜けば地獄行きという像です。

友に殺されることも意識しておく必要性

仲の良い人に殺される事なんてないでしょ?
みんなはそう思っています。

しかし状況が変われば、人は人を殺します。でなければ、顔見知りの殺人は、すべて過失致死でなくてはなりません。ちょっとしたことで、人がストーカー化するように、小さな事で人の気持ちは大きく変わります。

ニュースに取り上げられるのは、「血もつながらない相手を、身を挺して守ってくれた心優しき人」だから、ついそういう人ばかりと錯覚しそうになりますが、よくよく考えれば稀なことだからニュースになるのであって、通常は身を挺さないばかりか、身代わりに突き出されることだってあります。

でも、それが、当たり前です。我々は皆この世に生をうけた瞬間から、なによりもまず、自分の命を優先するよう、できています。

みんなが自分の命を優先するアルゴリズムにのって生かされているのですから、ときとして自分の命を脅かすもの(友人)を排除することは、容易に想像できます。

倫理的には咎められることであっても、それだけで人を制御することはできません。だからこそ、親しき仲にも適度な緊張感が必要なのです。

友を友にしていたいなら

ここまでくると、「友人にも気を抜けないのか」、とどんよりした気持ちになってることでしょう。

たしかに、なにも考えずに付き合えるなら、ぞんぶんに気持ちを解き放て、ストレスも吹き飛びます。でも、目の前にいるのは、自分と同じ心を持つ「人」です。見返りなしに、ずっと付き合ってくれるわけではないのです。

少し話は逸れますが、スマホのアプリが無料なのは、アプリを提供することで個人情報を手にしているからです。お人好しが、ユーザーのために知力と時間を使ってくれてるわけではありません。

世の中は常にギブ&テイクです。自分がもらう代わりになにを差し出してバランスを取るかを考えないと、関係は継続しないのです。相手の目に、自分の価値はどのように映っているか、分かりますか?

それがきちんと把握していることが、昨日の友を今日の友にしていられるコツです。