人を殺す職場を活かす職場に変えるには?

ブラック企業に職場のイジメ、人間関係が原因の離職、会社員のうつ病罹患率の上昇。職場の抱える問題は増える一方で、減るきざしが見えない。

どんな職場なら活き活き働けるのか。これは組織に身を置く者にとって重要なファクターである。そこで職場環境を悪いと感じている人の頭の中を整理するために、なぜ環境が悪いのか、誰が環境を変えたらいいのか、どう変えたらいいのか、について一つの考え方を示す。

これをきっかけに自分の中でどうしたらいいかを、もんでみてはいかがだろう。

心が死ぬ職場と活きる職場

不満がありすぎて力のない者をサンドバックにしようとする上司のいる職場に配属されると、「使えない」「○○もできないのか?」といった否定の被弾を浴び続けることになり、心が死ぬ。

不満があっても自分の問題だと線引きできる上司のいる職場に配属されると、努力や結果を見てもらえ、承認のシャワーを浴び続けることになり、明日への活力がわいてくる。

人は自分が「認められる」かどうかで、活き活きとすることもあれば、死んでしまうこともある。現にアンケート結果でも

上司に言われて嫌だと思うひと言は、「使えないな」(33.8%)「そんなこともできないのか?」(32.6%)「余計なことをするな」(23.4%)
上司に言われてやる気の出るひと言は、「ありがとう」(35.1%)「よくやった」(23.9%)「頑張ってるね」(19.8%)
不愉快に感じる上司からの一言 最多は33.8%で「使えないな」 - ライブドアニュース

と出ている。能力の否定や行動力への抑制は心を荒し、仕事や努力に対する承認は心を豊かにする。

やりたくてやってるわけじゃない側面

だだ否定や抑制をしてくる側も意図してそのようにしているのではない。むしろ勝手にそうなっている。

考えられる理由としては、上司も否定されたことしかないから承認の仕方を知らない、自分だって上司の不機嫌を受け止めるサンドバックとして耐えてきたのだ、後輩だけが優しくされるなんてズルい、という思いがある。

もしこれが上司と部下ではなく親と子だったならば、自分のことはさておき、子供はいい環境で育って欲しいと思い、不満をぐっと内にとどめようとするだろう。しかしそこまで深く想う間柄でなければ我慢しようとは思わない。内に秘めたる「ズルい」を、「お前の出来が悪いんだ」という形に変えて、思う存分イジメ抜く。

そこにあるのは、報われなかった日々への復讐。イジメられた弱き自分のフォローを完了してないから、人の面倒をみるといった大人の階段が登れない。遺恨を抱えた人たちが集まると、弱い人を使って憂さを晴らそうとしたり、誰かが良い思いをするのを阻止しようとして、場内がギスギスする。

誰がどうやって変革をもたらすべきか

これを逆転するには、上司から順に承認される経験をする。一番力のある人物(たいてい会長か社長)が、「承認」とはいかなるものかを学び、上司相手に実践する。そうすれば、上司は「承認」を学ぶことができ、復讐の炎を消し去ることができる。

「承認」とは、褒めることではなく、透明人間になって、相手の背後に心を構え、相手の側から心象風景を見つめ、感じられたことを今度は自分に立ち戻って言葉にする作業。一旦、主観から解脱するところに「徳」がある。その「徳」はやはり器が大きく、人を導いていく立場の人間にこそ備わるべき一つの能力だと思う。

上の者がなぜ、上に立てたのか。それは周りが「アンタはみんなを幸せにする力を携えた御方だ」と持ち上げてくれたからである。ならばそれにふさわしい人物然となるためにも、「承認」にこそ力を入れるべきである。

「自分は偉いんだ。言うことを聞け」とふんぞり返っているような人物は、「会長や社長」という袈裟は着ていても、中身は「平社員」。全員のレベルが「平社員」の会社は、必然的に「人を殺す」方向へと加速する。

「承認」を身につけるには大した投資もいらないし、時間もかからない。自分が握って離さない「主観」を手放す覚悟だけが問われる。

でもこれ、商売する上では欠かせない能力。主観を手放して、企業が売りたいものより、消費者が欲しがるものを見つけて形にできるからこそ、供給に見合った需要を喚起できる。

結局上司も部下もない

結局、お客様でも会社の人でも、目の前の「人」を幸せにできるからこそ、請われる組織で居続けられる。社会に必要とされるために、欠かせない視点だ。

今、これを読んでいる人は少なからず、職場がギスギスしていることに頭を痛めていることだろう。その原因は、もちろん上役の問題である。しかし自分とていずれは上役に就き、部下を「承認」する立場になる。その予習として、どんな言葉をかければ「承認」となるかをシミュレーションしてみるのは、悪くないことだと思う。

いつか誰かがやってくれたら、私だって出来るのに、と全員が思っている。その日を待ちわびるのか、イメージだけでもどうしたらいいか作っておくかはあなた次第だ。

さて、どうする?