いいことを言う人がいい人なわけじゃない(花田優一氏の事例に学ぶ)

こんなニュースを目にしました。
news.livedoor.com

靴職人の花田優一氏と番組で意気投合した女優の吉岡里帆さん。弟に花田氏を紹介し、それが縁で弟さんは靴職人をめざし花田氏の元へ弟子入りしました。ところが花田氏からは、手ほどきを受けることはおろか自身の仕事を丸投げされる始末。気持ちが折れて3ヶ月で退職するはめに陥ってしまいました。記事にはその詳細が記されています。

花田氏は「自分に嘘つかない、1個でも嘘ついてたら答えって見つからない」と言っていたそうですが、受注した品を期日までに納めず、弟子にクレーム処理をおしつけ、好き勝手三昧。全然言葉通りではありません。

なぜにここまで言ってることとやってることが違うのでしょう。

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人たらしの術

人の心には、これはいい!と思える情景があります。
たとえば、人を愛すのは素晴らしい、親は子供を守りたいと思っている、人は自分のためより誰かのためにこそ頑張れるetc…。

そういった情景を使うと、心を打ついい言葉が作れます。

本来であれば、それは目の前にいる人の応援歌となるはずですが、心を打つ性質を利用して信用を得ようとする人がいます。心理を戦略に使っているのです。

戦略は意識的に行われる場合もありますが、ほとんどが無意識です。ですから、期せずして人たらしの術を手にします。

優一氏もその類いではなかろうかと思います。お母様の河野景子さんはアナウンサー時代チーママと呼ばれるほど気づかい上手でした。その血を継いだか、母の背を見て学んだかで、人たらしの術を身につけていったのでしょう。

技術はあくまで技術でしかない

しかし、【言葉を作り出す技術を身につけること】と、【もがき苦しんだ末に言葉が生まれるの】は、別物です。前者には、実が伴いません。その場では本気でも、自分を貫く姿勢とは違う。対して後者は、言葉イコール生き様ですから、どこをどうちょん切っても、金太郎飴みたいに貫徹しています。

純真無垢な人は、この違いに気づくことができず、いいことを言う人はいい人に違いない、と信じてしまいます。だから「信じてたのに裏切られた」となる。

人を見る目を養うとは、こういった表面上のおためごかしと、芯まで通ったホンモノを見分けるということです。言葉の裏にその人ならではの辛酸をなめる経験がどれほどあったのか、を心の眼で見通す。
そういう丁寧な観察があってこそ、人を見極められるのです。

なぜその言葉を口にするのかをよく考える

言葉を口から発するには、発するだけの理由があります。何のために発するのでしょう?

自分を強く大きく見せるため、自分のイメージをつくるため、情報を共有するため。そうですね。そういうために言葉はあります。でも他にもあります。

目の前の人の迷いに手をさしのべるため。

いい言葉は、このためにあると思います。だからまず先に「人の迷い」がなくてはならない。ところが、花田氏の話はどれも誰かの迷いではなく、自分はこうだったの独白です。

つまりいい言葉ではなく、いい人に見せかけるための言葉だった(自分のイメージをつくるため)ということです。

あなたが耳にしたその言葉は誰のための言葉ですか?誰に手をさしのべていますか?

ちゃんと届けたい相手のいる言葉、誰かを迷いからすくいあげる言葉であってこそ、言葉の本領は発揮されます。もし、相手を信じていいか分からなくなったら、このことを思い出してみてください。

弟さんの一日も早い心の回復を祈っています。