不安を持たない人などいない。我々は日常的になしかしら不安を抱いているし、事故などに巻き込まれれば余計に不安が強くなる。そんなとき「不安」に寄り添ってくれる人がいればありがたい。
けどその一方で「不安」をネタにカモられる人が後を絶たない。カモられてから悩むのではなく、カモにされないために準備しておいた方がいいのは明白だ。どのような仕組みで自分たちは商売の種にされてるのか、一度蚊帳の外から見てみようではないか。
カモられる仕組み
どんな人がカモられるのか?
感情の安定していない女性。不安を抱えこんだ女性は、話を聞いて欲しがる。黙って耳を傾けてくれて、深く理解してくれて、味方してくれる相手を望んでいる。それが分かってる商売人は、望みどおりに振る舞う。
聞いてもらった女性は、商売人のおかげで、ペシャンコになった自尊心が回復し、「こんなにも自分のことを思ってくれる人がいる」という満足で心が充たされる。誰も話を聞いてくれない環境下であれば、なおさら。
こうして商売人を信頼しきった女性は、心に余裕ができる。そこに商売人がささやく。「○○をすれば、あなたは幸せになれる」。
あからさまにお金を要求したり、下働きを強いたりすればさすがに怪しまれるだろうが、商売人の利益に結びつきそうもない提案であれば、それが真実かのように思えてくる。
だからやってみる。しかしやったからといって、幸せになったりはしない。不安になった女性は、商売人に相談に行く。
すると真剣さが足りなかっただの、邪念が入っていただの、といって「やり方がまずかった」という結論にされる。一度は信頼した人からそう言われたら、もっともらしく感じて、その先も○○に励む。
だが当然ながら上手くいかない。そこで本丸であるツボとか水晶といったラッキーアイテムの登場!!
すでに何をやっても上手くいかないのは努力が足りてないからだ、という思い込みをしている女性には、すんなり受け入れられる。
かくして、商売人の言葉に従いラッキーアイテムの購入が増えていく、という仕組みである。
どんなテクニックを使っているか?
では、改めてどのように話を進めていってるのか、見てみる。
- 1stアプローチ:女性の不安を受け止め、肯定することで、自分を唯一無二の理解者というポジションに置く。
- 2ndアプローチ:女性をあたかも応援するかのように、振る舞う。実際には、「あなたはもっと幸せになれる人」だとか、「他の人が間違ってるの。あなたは正しいわ」、とさも喜びそうな言葉を投げかける。
- 3rdアプローチ:応援したいからこそ、どうしたらいいか教えてあげる、という態度を取る。「○○をすれば、あなたは幸せになれる」
- 4thアプローチ:物事が上手くいかない理由を別のものにすり替える。「努力が足りなかった」
- 5thアプローチ:ラッキーアイテムを売りつける。
このアプローチの肝は、過去にいいと判断した人をよくない人物と考えたくない⇒つまり過去の自分を否定したくない、という性質を使っているところ。
どんな人も自分に抗うのが一番難しい。
どうやれば被害を防げる?
もし、被害を防ぎたいのであれば、4thアプローチのところで、過去の自分を疑う勇気を持つことである。過去に商売人を素晴らしい人と思ったけど、言ってることが疑わしいので、もう一度最初から商売人の言葉を整理してみよう、と考えてみる。
すると、あんなにも私のことを分かってくれてた!と思っていた言葉の数々が、メッキ感満載の薄っぺらい言葉だったとか、マニュアル的返しだったとか、に気がつく。
儲けようとしている人とそうでない人の見分け方
救いの手をさしのべてくれる人のすべてが、悪い人じゃない。
援助するときは援助するけど、自分でなんとかできるまで回復したら、はいどーぞ、と冷たく突き放す相手であれば、まず間違いはない。
そのような人物は、やたらとこちらをHighにさせたりしないし、冷たくあしらうこともいとわない。それはいつの日か自立をして欲しいと願っているからである。
不安は商売につながるかもしれないが…
世の中には心をターゲットとした依存商売があまりに多い。コレを買ったら、次はコレ。本質を学ぶより、モノ(ラッキーアイテム)やコト(セミナー)を手にして、不安を払拭しようとやっきだ。
しかし「不安」を生んだのが自身の「心」であるならば、それを救えるのもまた自身の「心」。すなわち「心」を入れ替えることでしか「不安」は解消されない。その「心」を見つめるのは、内観や瞑想などの自身との対話。
それを学ぶぐらいが、お金を払う先としての最大の譲歩に思う。タダでは手に入らないが、大量に金を積むものでもない。不安の解消そのものは金では買えない
、そう腹をくくることで過度な資金の流出は防げる。
朝、K氏の餌食になった人々を見て、「不安」に対する商売の底知れぬ魅力を再認識した。気を抜いていたら、あっという間に飲み込まれてしまう。
自衛の意味も込めて、過去に下した自分の判断を疑う勇気を持っていたいものだ。