あなたの声が相手に被るワケー本当に悪いのは誰?

話し下手の悩みの一つに、「自分の声が相手に被ってしまう」というのがあります。

しゃべろうとしたら、相手と話始めがぶつかっちゃったってやつですね。誰にでもあることですけど、それに悩めるなんて、あなたは繊細な人です。そして問題意識も高い。

是非是非、どうしたらいいか考えてみましょうね。

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ぶつかるメカニズム

誰かと一緒にいるとき、意識の大半を占めてることはなんですか?

”無難に上手く切り抜けよう”、”相手に好印象を持ってもらおう” とすることじゃないですか。要するに自己価値の向上を狙っている。

相手も同じです。同じ意識を持つ者が、同じ土俵に上がると、同じ技でかかっていこうとします。その技が、「思いついたことをしゃべる」。

両方がしゃべろうとすれば、ぶつかる瞬間が当然生じるでしょう。つまり、どちらかが技の出し方を改めない限り、話しが被っちゃうのは避けらないんですよね。

すんなり態度を変えられぬワケ

ならば、「技の出し方を変えれば良い」と思うでしょう?でもそうは問屋が卸さない。
技を繰り出す直接の原因となった自己価値の向上を手放すのは、事のほか難しいです。

あなたはあなたの価値を、相手からよく思ってもらうことで、確かめようとしています。不確かな自分を確かなものにするのに、他者からの働きかけが欠かせません。他者に無視されたり、利用されたりばかりだと、「自分って存在する価値ないのかな…」って不安になる。だからちょっと良いことを言って、「さすが」とか「すごいね」とかの言葉をかき集めて、”うん、私には価値がある”と思いたい。

その行いを止めてしまうというのはすなわち、存在価値に対する死の宣告です。

かろうじて残っている”うん、私には存在価値がある”と思える瞬間を手放せというのです。そりゃ、怖いに決まってます。

人格をたくさん持つ

でも、元を辿れば、存在価値への希求こそが悪の親玉であって、それさえ手放せれば、いちいち他者に「すごいね」と言ってもらわなくても、全然大丈夫なわけです。

じゃあ、誰が私の存在価値を認めるのか。これが考えるべきテーマです。

さて、誰でしょう。親?親友?恋人?配偶者?
えっ、でも私、天涯孤独だし、コミュニケーション下手だから友達とか恋人とかいないし、と思ってません?

大丈夫です。
そういう人ではありません。正解は、自分だから。

はい?ワケがわかりませんよね。
いいんです。最初はそれで。

成長の途中にある人は、自分の人格は自分一人だと思っています。けれども成熟するにつれて、後押ししてくれたり、冷静なアドバイスをくれたり、慰めてくれたりといった人格が表れます。

こちらを参考にするとよいです。

そしてあなたに決定的に欠けているのが、自分を受け止める人格です。「○○って、こう思うんだよね」という主人格に対して、「ほぅほぅ、そう考えるんだ。なるほど」と返してくる人格。

受け止める人格を手にすると、わざわざ他者に働きかけてもらう必要がなくなります。その結果、話そうとする場面が、今の1/6くらいに減ります。

ということは、存在価値の向上に割かれていた時間が、まるまる空くわけですね。
そこで何をするか。

ぶつかるのを回避するには?

サーチです。

相手の意図を見破るゲームに参加するのです。ゲームは攻略しようと思えば、情報を収集せねばなりません。注意深くこぼれてくる言葉の中の情報を拾い上げる。

すると必然的に相手に意識が向き、相手の息づかいや、言いたいことへの関心が高まり、声が被らないよう無意識に回避し始めます。

自分が見る対象を単に相手の姿形から、生体の様子や、意識に拡げることによって、相手への理解度が一気に跳ね上がるんですね。

盲目的に言葉を繰り出すのと違って、しっかりと目の前の風景が見えてるのですから、不用意な声の衝突もずいぶんと減るでしょう。

ということで、相手と話を被りたくなければ、自分を受け止める人格を育てることです。

難しいければ、相談にも乗ります。「心の流れ」のカウンセリングへお申し込みください。