なぜ友だち付き合いであなたばかり辛い目に遭うのかという人に抜けてる視点

相手に好き放題言われて、思わず「そんな酷いこと言わないでよ!」というと、「は?冗談通じないやつだねー」とバカにされることがある。

なにも悪いことはしていない。ただ「よしてくれ」と注意しただけ。なのに、なぜ私ばかりが辛い目に遭うのだろう。私が一体なにをしたというんだ?

という考えに取り憑かれていませんか。

そこには重大な見落としがあったのです。あなたの目がまだ捉えていない重大なこととは何なんでしょう?

f:id:idea-for-life:20190221145246j:plain:w400

誤った対処とは?

謂われのないことを話されると、誰だって腹が立ちます。性格が暗いだの、ファッションセンスがイマイチだの、未婚だの、子供なしだの、本当に言いたい放題。

もしそれが真実だとしても、どんな迷惑をかけてるというのでしょう。気にくわなければ、向こうがシャットアウトすればいいだけのこと。いちいち目の前に現れて、勝手に不快に思って、「あんたが悪い」と言ってくるって、どんだけマッチポンプ?

けれども人間、要らないことにわざわざ首を突っこんだりなどしません。かならずなにか目的があって近づいてきている。その理由、心当たりありませんか?

それこそが捉えるべき重大なことなのです。

さもこちらが悪いかの如くネチネチといたぶってくる相手の隠しておきたい何か、いたぶらざるを得なくさせてる何か。何でしょう?

答えは鬱憤です。

私をいたぶって、ため込んだ鬱憤を発散したいのです。私が居ないと困るのは鬱憤をため込んだ相手の方。なのに、私ときたら去ることもせずに「止めてください」と注意する止まり。なんかズレてません?

因果応報に処するよう持っていく

だから突き返すのは「発散したくてたまらない衝動」にしましょう。相手の感情は相手の元へと返してやる。はっきりいって相手の世界で起こった出来事やそのときの気持ちなど、知ったこっちゃない。

放っておくのです。全然冷たくもなんともない。なぜなら、それこそが相手を信じることだからです。私が助けなくても、相手は自力で這い上がっていく。「神様はその人が超えられぬ試練は与えない」。だから相手の自立の萌芽を摘み取って、鬱憤のサウンドバックになるのは止めましょう。

それと相手の「は?冗談通じないやつだねー」という追加攻撃に乗ってあげるのも止めましょう。私の「止めて」を「そうですか」と受け止めるだけの余裕は今の相手にありません。言葉を受け入れる器にないのです。

意見を言ったところで、聞き入れられるわけありません。どんなに誠意を尽くしても、最後物別れに終わるのがオチ。それも罵詈雑言付きで。裏を返せばそれだけあなたを手放したくないという依存の表れなんですけど。

でもそんなこと知りません。相手の幸福のために、私があるわけじゃないので。勇気を出して、「そんなに嫌なら、無理に相手しなくていいよ。私は一向に構わないから」と突き放しましょう。こう言えば、双方が拮抗します。責められる一方だったあなたが立ちふさがった。すると相手はそれまで言いなりになっていたのが急にそうではなくなって戸惑い、攻撃の手が緩みます。

と同時に判断のカードを委ねることで、私が悪目立ちせず、後々の攻撃を避けることもできます。

正直相手の中に溜まっている鬱憤の内容までは分かりません。けれど、それを誰かに押しつけるのが間違ってることくらいは分かる。だから押しつけられたら、押しつけられた鬱憤丸ごとをお戻しする。これがもっともストレートで無駄のない対処です。

あなたと、相手の鬱憤の間には、なんの因果もありません。因果は因果の元へと返してあげましょう。あなたが攻撃をうける必要性なんてこれっぽっちもないんですよ。あなたがあなたを守るんです。