なぜ友達は減り続けるのか?

学生のときは、大勢友達がいたのに、中年にさしかかると、いないかもしくは数人しかいない、という嘆きをよく耳にします。これってなぜだか、わかりますか?

忙しくなった、境遇が違った、経済力に差が出た。つまりは「合わなくなった」んです。

でも合わないとどうして、友達じゃいられなくなるんですかね?

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「友達」の条件

コイツとは友達になれる、なれない、の差って、話したとき、同じテンションで関心を示してくれるかどうかです。

話す前から、関心のベースが合致していて、話にあがったとき、どちらが口を開いても、「うん、うん」と頷ける状態だと、お互いに「気が合う」と感じます。

関心は重なれば重なるほど、簡単に「友達」になれます。

学生時代、友達が出来やすかったのは、関心が重なりやすかったからです。「テスト」「恋愛」「学校での出来事」どんな話をしても、頷いてもらうことも頷くこともたやすかった。これが、就職、結婚、出産、昇進、で枝分かれすると、関心の対象がばらけていって、反応が難しくなってしまった。それゆえ、つまらなく感じるようになったのです。

もちろんそれで手をこまねいてるわけにはいきません。なんとかして盛り上げようと手当たり次第話題をふります。ですが、そういうときに限って相手が真顔になってしまって、どうにもこうにもいきません。

気が合っていたはずのあの子と、卒業以来会っても楽しくないのは、関心のベースがズレてしまっていたからです。

友達づきあいの目的

ベースがズレると、話していても疎外感を感じます。誰かといるのに、一人その場に取り残されたような気持ちでいっぱいです。

一人でいるのと変わらないなるのなら、「また、会いたいな」という気持ちは湧いてきません。自然と距離が置かれます。だから、時間と共に友達というのは、減り続けるものなのです。減らなければむしろ、心地よさとは別の目的があると踏んだ方がいいです。

たとえば、独りぽっちになるのが寂しい、とか、友達がいないと思われるのが嫌、とか。

それも友だちづきあいの動機にはなるでしょう。

が、お互いが利用しあっているみたいで、寒々しいです。寒々しい人間関係を望むか、友達が減ることを受け入れるか、どっちがいいんでしょうね?

どんな友達がいいのか?

「友達の数==性格のよさ」と考える人にとっては、寒々しくてもつきあいをやめたりはしないでしょう。けど友達の数を指標としない人は、何人とつきあうかより誰と付き合うかを大切にします。そして、その相手は、一緒にいて心温まる人です。

心温まる人は、どんな関心ごとにも自分を重ねられる器の大きさがあります。器を自由に変形させて、相手と一体化することによって、相手の心情にたって聞き、頷いてあげられるのです。

どんなことも受け入れてくれそうな態度が、私達を「友達はたった一人でもいれば十分」という気持ちにさせてくれるのです。

そして器の大きい友達に出会えたのなら、自分もそうなりたいと願います。今までの価値感を脱ぎ捨てて、どうやったら人と一体化できるのか、相手の心情にたてるのかに興味が湧きます。

自動的に「どう思われるか」から「どう在れるか」へと視点が切り替わります。こんな大きな変革をもたらしてくれる相手こそ、付き合いにふさわしいのではないでしょうか。

友達が減り続ける理由のこたえ

ということで、まとめに入ります。

なぜ、友達は減り続けるのか?というと、自然の流れだからです。恥じることはなに一つありません。

そして最後残るのは、一緒にいて心温まる友達です。心温まる友達がいれば、自分も大きく変わっていけるでしょう。