普段なにげなく交わしている会話。すっごく違和感のあるならまだしも、それっぽいんだけどなぜかしっくりこない、と感じるのがほとんどです。
表面をさらっとなぞっただけだと、物足りない、ハマったように感じられないんですよね。
それはしょうがないことなのか?ハマる会話は存在するんでしょうか?それを意図的に作ることは可能なんでしょうか?
いろいろ考えが巡る中、例を交えながら、ハマる会話の作り方を考えたいと思います。
不満を口にした場合
たとえば「あーもうやんなっちゃう。毎回私ばっかこの仕事やらせられてる~」とAさんがボヤいたとしましょう。このときの無難な返しは
「ホントだよねー。わかるわかる。」や「たいへんだねー」といったもの。
これでもいいと思います。けどなんかピシッとハマっていない気がする。
じゃあどう返せばいいか、ということでまずは言葉の分析から入ります。Aさんが言ったのは①やんなっちゃう②私ばっか③仕事やらされてる~。この中で一番重きを置かれてる言葉は?
そうですね、Aさんの様子を思い浮かべながらAさんになりきって、②だと判明しました。Aさんが気にしてるのは②私ばっか、すなわち不公平感です。ですから不公平感に相対した感情を考えます。
Aさん(不公平感)↔私(共感)、が良さそう。共感の言葉をあれこれ考えて「毎回毎回じゃ、不満に思うのも無理ないわ」としましょう。
おさらいします。
Aさん「あーもうやんなっちゃう。毎回私ばっかこの仕事やらせられてる~」
私「毎回毎回じゃ、不満に思うのも無理ないわ」
どうでしょう? [私ばっか(不公平感)→不満に思うのも無理ない(共感)] でセットになっていると感じませんか。
「わかる」や「たいへんだねー」といった返しをしていたときよりも、Aさんは理解してもらえたと感じる可能性が上がったように思います。
喜びを口にした場合
つづいて「懸賞でこれ当たっちゃった!前から欲しかったんだーラッキー★」とBさんがはしゃいでいたとしましょう。このときの返しは
「うわー、いいなー。」「運がいいんだね」「よかったね」というもの。
これもなんら問題のない返しですが、やはりハマってはいません。ですからさきほどと同じ手順で言葉を分析します。
Bさんの言ったのは①当ちゃった②前から欲しかった③ラッキー。この中でBさんが最も言いたかったことは?
②かなもしくは③かなという気がします。では②から手を着けていきます。②の前から欲しかったは、渇望です。渇望に相対した感情は?
Bさん(渇望)↔私(肯定)、が良さそう。そこで肯定の言葉を考えて「応募するときに、欲しい欲しいっていってたもんね!」としましょう。
最初から通して
Bさん「懸賞でこれ当たっちゃった!前から欲しかったんだーラッキー★」
私「応募するときに、欲しい欲しいっていってたもんね!」
どうですか? [欲しかったんだ(渇望)↔欲しいっていってたもんね(肯定)] でセットになっていると感じませんか。
「いいなー」や「よかったね」よりもBさんは私が一緒の思いでいてくれたと感じる可能性が上がったんではないか、と思います。
続いて③ラッキーの場合、このときの感情は、高揚です。高揚に相対する感情は?
Bさん(高揚)↔私(共感)、が良さそう。そこで共感の言葉を考えて「うっわ~そりゃ(周りに)言いたくもなるわ!」が良さそう。
最初から通して
Bさん「懸賞でこれ当たっちゃった!前から欲しかったんだーラッキー★」
私「うっわ~そりゃ(周りに)言いたくもなるわ!」
どうですか? [ラッキー★(高揚)↔いいたくもなるわ(共感)] でセットになっていると感じませんか。
「いいなー」や「よかった」よりもBさんは高まる気持ちを理解してもらえたと感じる可能性が上がったのではないか、と感じます。
会話の法則
このように、言葉のどこに気持ちが置かれていたかを察知し、相対した感情を見つけて言葉を作る、というのが心地よい会話の法則です。
ですが、私達の育った家族では、互いに気持ちに注意を払うことがなく、棒読みのような貧しい言葉を繰り返していました。
だから「ホントだよねー。わかるわかる。」や「たいへんだねー」、「うわー、いいなー。」「運がいいんだね」「よかったね」といった返事しかできないのです。これは、「毎回毎回じゃ、不満に思うのも無理ないわ」や「応募するときに、欲しい欲しいっていってたもんね!」に比べて、語彙数も感情表現も乏しいのがお分かりいただけるでしょうか。
さらには「わかる」「大変だね」「いいな」「よかったね」といった自分の気持ちにばかり目を向け、相手の気持ちは気にも掛けていません。
相手は無視して、乏しい表現で自分の気持ちを言う、それがコミュニケーション弱者の実像です。
分かってあげることも、気持ちを受け止めてあげることもできない。だから、人と心通い合わせられない。
実に深刻な問題だと思います。
「観察」に希望を見いだす
残念ながら今の教育制度では、言葉の作り方を説かれることもなければ、訓練する場もありません。そんな中で、何に希望を見いだせば良いんでしょう。
「観察」です。
「観察」を通じて、自分の、そして周りの人の言葉の作られ方をよく見てください。100人いれば99人が相手の気持ちを取り合わず、思ったことを口にしています。皆が、自分ガー、自分ガー、とやってる様を見ていると、うへぇ~って感じる時が来ます。
その辟易こそ、大チャンス。会話を一から学びたい、というモチベーションが湧いてきます。
気持ちを察知するのは大変です。できないと投げ出したくなります。けれど、強いモチベーションがあれば、切り抜けていけます。それもやればやるほど、確実に会話力は向上していきます。かくいう私も今はまだ練習中。
ひよっこ同士、頑張っていきましょう。