結婚したら味方ができるとか、幻想です

結婚を望む理由の一つが「精神的安定」。一人でいるより、二人でいたほうが、寂しさや辛さを分かち合えそう、という予測を我々は立てている。

けどね、そんなの幻想です。寂しさも辛さも分かってくれやしません。それどころか、「そんな小さなことでくよくよすんなって」って、しょんぼりすることさえ封じられますから。

結婚したら味方ができる?そんなのありえません!!

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高望みする人々

結婚に並々ならぬあこがれを抱く人は、結婚によって得るものが多いと考えています。そのなかでも最も期待を寄せているのが、支えてくれる相手がそばにいること。

私を理解してくれ、受け止めてくれ、なぐさめてくれる。そんなコミュニケーションマスターが欲しい。

いたらいいですよね、そういう人。落ち込んでるとき、心をすぅーっと軽くしてくれるサポーター。

でもよーく考えてみてください。あなた自身が、誰かのサポーターになれたことありました?

傍にはいてあげたかもしれない。けど余計な自分語りや、お節介なんかをしてしまって、ですぎたマネしすぎたことありません?

たいがいそういうときは、「何を言っていいかわからない」という焦りから、妙に饒舌になってしまったりするんです。

自分じゃ出来ないことを期待するって、「高望み」以外の何物でもありませんね。

悪口サイトを見てみると

配偶者への不満を書いたサイトを見ると、出るは出るわ「このクソッタレ!なんにも分かってないやんけ」のオンパレードです。

命に関わるような場面でも、相手はポワーンとテレビ見てたり、ゲームしてたり。優しさの欠片もない。こういう光景が、味方であるはずの家族の間で当たり前に繰り広げられているのです。

ー病気の人が居たら助けるー

「基本のき」さえままならない、のです。

披露宴で宣言した「温かな家庭を築きたい」は真っ赤なウソ。正しくは「見ごろしにされそうな家庭を築く」ですよ。だから結婚するまでは両目を開けてよーく見なさい、という教訓が存在するのです。

それくらい「当たり前だろ」ってことが、二者間で通じないのがデフォルトです。結婚したら、相手がエスパーになって私の願いを読んでくれる、とか絶対ないですからね。

むしろ「ころし合う」くらいの意気込みで

結婚にさしあたって、むしろ「ころし合うんじゃね?」くらいの意気込みで始めるのが正しいと思います。

なぜ、これほど殺伐としたところをスタートラインに置くかというと、そんだけ緊張する相手なら、期待ゼロ。むしろ今日が穏やかに済んだ、ラッキー★くらいに思えるからです。話しかけられたら、「おっ!話しかけられた(喜)」、なんか買ってきてくれた「スゲー、プチプレゼントとかくれたし!」ってテンション上がる。

それが謙虚ってことだと思うのです。

どんなに血がつながっていようが、長く暮らそうが、利害が相反すれば、反旗はひるがえされます。

「今日の友は明日の敵」。敵だけに気を引き締めていきましょう。そしたら「親しき仲にも礼儀あり」なんて言われなくても、自ずと守れるようになりますって。

結婚なんて幻滅からスタートでOK

暮らしていれば、けんかはします。「なんで、こうならないの?」って憤ります。

そんなありのままの姿がいいと思います。

「いつまでも仲良くしてます」こそ特異的。なぜなら、ほとんどの人がそんな高尚な教え、学んでませんからね。普通の家庭は夫婦仲が悪く、そんな環境下で育った子は、いさかいが日常で、仲良いなんて見たことも・触ったこともない。仲良いがどうやって作られるのかすら、分からない。

ならばいっそ、結婚のイメージをぶちこわして、辛酸をなめるくらいのイメージに変えちゃったらいいんです。身の丈にあった結婚とは、夫婦仲の悪い親元で育った子は、夫婦仲悪くスタートする。
選びに選んだ相手でも、仲良い夫婦の実体を知らないんだから、しょせんその程度の目利きなんです。

我々は結婚に夢を見すぎました。シンデレラ物語で妄想を膨らませすぎました。結婚なんて、ボクシングと一緒、闘争です。

でも闘争の先に友情が芽生えることだってあります。だからまずはバシッバシッっと殴り合うことから始めましょう。