対話のない家族はやがて離ればなれになる

弟が2年前に離婚していました。聞かされたのはごく最近です。

弟・妻・娘の3人家族で、端から見るととても仲の良い、ファッショナブルな親子に見えました。ですが、今から遡ること数年前、親族で集まったとき、少しばかりこの親子に違和感を感じたのです。

それは、「会話しているようで、していない」。なんかこう、一方通行なんです。それゆえ、妻側から「あなたといるとしんどい、別れて欲しい」と言われたと聞いて、納得しました。

残念ながら、弟には人の話に耳を傾けるというのが出来てなかったようです。

なんでも決めつけ

最初に違和感を感じたのは、弟が娘に向かって「これでいいよな。」と言ったことでした。娘には娘の意見がある、なのに父親がまるですべてを知ってるかのようないいぶりでした。

本来であれば、娘といえども「これでいいかな?」とフラットに尋ねるべきです。フラットな訊き方によって、娘には「はい」も「いいえ」も自由にいえるようになる。ところが権威ある父親が「いいよな」というものだから、娘も表立って逆らうのははばかられる。従って、胸にいくばくかのわだかまりをかかえながらも「…うん」と答えざるを得なくなるのです。

このパターンをなんどか見かけました。おそらく、妻との間にもこのような会話が繰り広げられていたのでしょう。彼女の「しんどい」という一言に、いかに胸に抱え込んできたものが大きかったかを感じざるを得ません。

父もまったく同じパターン

この話を伝えてきた弟の父(以後、弟父と表記)は、母の車を買うときですら、メーカーや車種を相談することなく決め、「色だけ相談してこい」といってくる人ようなでした。

「これでいいよな」よろしく「この車でいいよな」という弟父の背中を見て、弟は学んだのでしょう。男は決めつけてもよい性だと。だからこれは弟夫婦の問題ではなく、うちの家が代々受け継いできた残念会話スタイルなのだと思います。

そして、もっとも苦笑したのが、弟父が「これだから若いもんは我慢が足りん!」といったことです。そういうオマエこそ、49歳で下の子が小学生のとき、我慢の足りなさ故に上司とけんかし、家族に相談もなく会社を辞めたやんけ!

弟は離婚しただけで生活基盤は手放していません。それにくらべて幼い子を抱えながら怒りにまかせて全部を放り投げた弟父。どちらの方が我慢が足りないのか、明白です。

横暴さと長年にわたる女の影に、母は嫌気がさして何度も離婚しようとしたり、家出をしてきました。首の皮いちまいで繋がってるだけの夫婦に、弟夫婦をとやかくいう権利などありません。

子は親をまねるものです。子供を責める前に、ご自分の生き方を振り返られてはいかかですか、と言いたい。というか、言ったら電話をガチャ切りされました。

兄弟みんな同じ病

私と配偶者Sさんも、ろくな夫婦像しか見ずに来ましたから、夫婦円満じゃありません。なんども死ぬ気でぶつかり、傷つけ合い、ここまできました。離婚しても全然おかしくなかったと思います。

改めて学習の場がもうけられないと、人は自分の育ってきた「普通」を踏襲してしまうものなのです。

私にはあと二人弟妹がいます。彼らも一見すると仲よさそうにみえますが、会話の節々に配慮不足や思い込みが見受けられ、それが配偶者さんの許容範囲に収まっているうちはいいですが、弟妻さんのように「しんどく」感じられるようになったら、同じ轍を踏まないとも限りません。

もはや我が家系における呪いなんじゃないかと思うのです。

脳の変性

日本の脳科学者、友田明美教授は虐待により脳が傷つくことを、画像解析で明らかにしました。すなわち、ある言葉を浴びせると、脳は萎縮し、機能を失うことが分かっています。

私の家は代々、思いやりとか尊重に関係する脳領域を新生児のうちから萎縮させ、働かなくする術に長けていたのだと思います。ですからみんな自分勝手で一方的。思いやりという概念は知っていても、それは「自分が「正しい」と思う範疇でのこと」であって、「「正しいと思わない」範疇では矯正すべきもの」と都合良く解釈しています。

すなわち正しいと思うものの延長に他者を配置しようとする企みであり、それこそ相手の意見を潰す行為だといわざるをえません。

そういう彼らと少しばかり距離を置くことに成功した私は、皆があまりにも類似した考えをもっていることに、圧倒されどおしです。

どうやって育てられたかは、思考形成に大きく関わっているんですね。

呪われた一家としてできること

少子化が加速し、血のつながりをよりどころに家族であり続けられる時代は、終わりを告げようとしています。これからの時代は、もっと新しい形で人と関わり、助け合う時代に入ってくことでしょう。

それこそ、血縁だからという尻ぬぐいのない時代に。

そういうとき、相手を思いやれるかが非常に重要になってきます。あなたの意見も、私の意見も対等に取り上げられる人だけが、社会の中に居場所を見つけられる。もはや、生まれや親は関係ありません。

事実、結婚して、孤独死、なにそれ?と安心していた弟夫婦でさえも、対等じゃないと居場所を失うという流れには逆らえなかったのです。

そして私を含む他の兄弟も、いつ家族という社会から疎外されるか分かりません。そうならないよう、身近な人にこそ、慎重に慎重を重ねて、どう関わっていくかを考えていくべきなのでしょう。

対話のない家族はやがて離ればなれになる、は日本のほとんどの家族の直面している深刻な問題なのだと思います。