すごく言い返したくなってるんだな、と敢えて気づく大切さ

決めつけや、いいがかり、誤った認識を持たれると、「すぐに言い返さなきゃ!」という気がわいてきます。相手が言い終わるのを待たず、ソッコー口を開きます。

たぶん私の方が正しいんでしょう。それでも、言い返すことが正しいのでしょうか。相手は態度を改めるのでしょうか。

違うように思います。訂正すれば善し、とは限らない。難しいですねぇ…。

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ヤフオクでの出来事

とある美容家電をヤフーオークションで落としました。写真も細かく載ってたし、「中古」の程度も書いてあったし、評価も良かったので安心しきっていました。

ところが、届いてみてビックリ。部品が一つない。え?え?え?と思って落札商品情報を見てみると、たしかに欠けていた部品が載っていませんでした。けれども、「私」の常識では、部品がないなら、ないと書いておくもの。部品欠けのせいで、別途パーツを買わなくてはならなくなり、余計な出費を強いられた私は、文句の一つも言ってやりたいと、評価の欄に長々と文句を書き始めました。

そのときふと気がついたのです。「これ、言って何になる?」

顔も知らないただのヤフーユーザー相手に文句を言ったところで、気分悪く終わるのは目に見えています。

文句を言った分、自分に返ってくる。それなら、もうスルーで良いじゃないか、と。

感情なんて人は聞きたくない

生きていたら予想外のことは起こります。「私」の常識が通じないなんて、それこそ日常茶飯事。それにいちいちかみついていたら、時間と知力がもったいない。これだけは譲れない、ということ以外、スルーした方がお得です。

そして本当に言いたいことが出て来たときだけ、感情を排して事実のみを語る、もしくは法律に照らし合わせて指摘する、といった制限の中で行動にでることを忘れてはなりません。

思ったまんまを口にすると、感情がふんだんに盛り込まれてしまいます。気に入らない、ムカついた、悲しい、寂しい、ないがしろにされてる。口にする時点で、「これを分かってもらいたい!」という気持ちが前面に出てきてしまうため、どうやっても感情論に傾いてしまうんですね。

でも相手が聞きたいかどうかは、また別。むしろ感情なんて聞きたくないというのが本音でしょう。

それは自分のことばかりを語る「オレ通信」を受け取ったときに似ています。「オレが楽しかった」「オレ、こんなの経験したんだぜ」という気持ちが前面に出た文章をみて、苦虫かみつぶしたような顔になってるのは、私だけではないでしょう。

感情というのは、もっとも共有したいものでありながら、もっとも受け取りたくない存在なのです。

出してよい感情・悪い感情

話し手、と、聞き手に立ちはだかるこのギャップに気づかないと、いつまでも人に感情をぶつけて、嫌がられることになります。感情って、実に厄介な存在なんですね。

でも、だからこそ感情の取り扱いには、慎重になるべきです。これを言ったら、相手はどう感じるかな、と一旦置いてから言う。

たとえばドキドキ、とか、ワクワク話なら聞いて楽しそう。かたや、ハラ立つ!とかコケにされた!、もしくは、エッヘン偉いだろっ!やオマエより優れてるし!といったものなら、うげぇ~と感じるのは容易に分かります。

つまりは口にしてよい感情は、制限されているのです。それを知らないままでいると、人を疲れさせてしまって、「二度と会いたくない人」認定されます。

そういうときに限って、本人はとても楽しそう。なにせ、思いの丈を吐き出し、なんなら目の前の人間を蔑むことができるんですから、これ以上のストレス発散はありません。

「どうしても聞いて欲しいことがあるの」と連絡がくるときは、大概、ストレス発散のためのサンドバッグにされます。要注意です。そして、自分もそのような目的で人を使ってはいけません。

私のようにならないで

私は親の感情の掃きだめにされて生きてきました。だから、人と話すイコール感情のままに語ることだと信じていました。事実数多くの人に感情を投げてきたし、もちろん言い返したくなったら即座に言い返すという、浅はか極まりない行動を取ってきました。

結果、人とのつきあいは、相当希薄になったと思います。こんな過ち、読んでる皆さんはしないでくださいね。人の輪に入って、温かい交流を楽しんでくださいね。

感情は出すもんじゃありません。自分で処理するものです。言い返したくなったら、一呼吸置いて、黙るか、事実のみ述べるか、気持ちと距離を置いて考えてみてください。