相談されたとき、どう答えていいか分からなかったら

相談されたとき、どう対処していますか?

聞き役に徹する、意見を言う、知ってる範囲で答える、というのが大方の対処法です。そして、そのような態度をとった結果、しつこく聞いて欲しいと迫られたり、意見を全無視されたり、教えてあげたことが知りたいこととマッチせずに不満な顔をされたり、と、まぁ納得いかない結果になるわけです。

せっかく時間を割いて相談に乗ってあげたのに、これじゃ双方が報われませんよね?かといって、どうすればいいかのアイデアもない。そんなとき、このようなアプローチはいかがでしょう?

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分かるはずもないという立場に立つ

まず基本として、「他者のことなど分かるはずもない」というスタンスを取ることが重要です。「分かるはずもない」からスタートしないと、「私だったら~」というナゾのアドバイスへと流されてしまいます。

なにか答えてあげたい気持ちは十分に分かります。けれど、答えることそのものが禁忌です。相手は答えて欲しいのではなく、解を見つけたいのです。そして、求めている解は、「私だったら~」という立場の差し替えでは、導き出せません。なぜなら、相手の価値感に私を染めあげることは不可能だから、です。

あくまでも、私は私であり、相手は相手です。二者の間の境界は確固として存在するのです。それゆえ、まず「分かるはずもない」という事実の上に立ってみましょう。

答えはどこにあるのか?

「分かるはずもない」という事実の上に立ったとして、次出来ることは何でしょう?

それは、信じることです。

ハァ?って感じですよね。でも、信じることです。【相手の中に答えはある】と信じるのです。相手は今、表層意識に囚われていて、本当の思い(解)にたどり着けていないんです。でも、こっちが手を貸してあげれば、かならずやタッチできます。

そのことを信じてあげられるならば、こちら側に変化が訪れます。答えようとすることから、探そうとすることへと勝手にポジションチェンジされるのです。

相談に乗るとは、一緒に探すことです。宝探しに似た、相手の腑に落ちる解を探すことこそが、私達に求められている役割なのです。

相談に乗るのは慎重に

何も知らないし、何も分からない。そういう力を抜いたところから始めると、本当に求められていることが徐々に明らかになってきます。なんと自然で穏やかな流れなんでしょう。

反対に強くあろう、正しくあろう、から始めてしまうと、即時的で冷徹な流れを作ってしまいます。そんな経験、したことありませんか?「気にすることないよ。」「なんとかなるよ。」と言い放たれたときの何とも言えない突き放された感。あれは、端から悩みに寄り添うつもりなどないという宣告のように私の耳には聞こえました。

何事も流れに逆らわず、途切れさせずが一番ですね。相談に乗るときの参考にしてみてください。

では最後に一つだけ、心に留め置いて欲しいことがあります。それは、相手が相談をしてくる、のは、私を必要としているから、のではなく、悩みをなんとかしたいと思ってるから、です。私の意思やオリジナリティー性など全くの不要。ですので、ただの黒子に徹するつもりで臨んでください。

相談に乗ったからといって、感謝されたり、自信がついたりなんてことはありません。ただ時間と労力を分け与えた、それだけ。ゆえに奉仕の精神を持てない内は、相談にのるのは慎重になってください。

自分の人生は自分のもの。けして他人に頼られる自分を以て、自分を保とう、などとしてはいけませんよ。