友達が出来ないのは、あなたのせいじゃないよ

このごろ、幸せってなんだろう?と思います。

お金があったら幸せ?自慢できる経歴があったら幸せ?家族が持てたら幸せ?
どれもそれっぽいけど、核心に迫るほどじゃない。ではなんなのか?

だれかが自分を肯定してくれたら、受け入れてくれたら幸せなんじゃないかなと思うのです。
そう感じるには、「友達の存在」が欠かせません。

私は幼い頃、友達の輪に入るのがひどく苦手でした。みんな本当は私なんか迎え入れたくなくて、でも仲間ハズレにしたら園長先生に叱られるから、意地悪な子ってレッテル貼られるから、無理矢理いれてくれてるんじゃないだろうか、という疑念が頭から離れませんでした。友達と私の間には、透明の膜みたいなのがあって、つながってるようでつながってない奇妙な独りぽっちさがいつもついて回って…。

それは今でも残っていて、輪に入れてる人たちと同じになれないと感じます。性格の問題でしょうか?

今日はそれについてお話していきます。


目から鱗の新事実

まずはコチラに目を通してみてください。
togetter.com

どう思いましたか?
私は、見事な筆致だと思いました。これまで言葉にならずにもやもやしているものを吹き飛ばす威力。BRAVO!!の一言です。

この中に

親がコミュ障でも同級生に揉まれてコミュ力が身に付く……わけでもなく、不快コミュを振りまく人間は距離を置かれるのでコミュ力を正常化する機会も少なくなるし、家でまた洗脳されて「私おかしくない」に戻るので、はい…人と会話するの、人の1000000倍すんごい気をつけたい……

とある部分が、「友達」が出来ない理由です。

コミュニケーションの不得手な親の背中を見て育ったせいで、私は、ツイート主フキさんの言う「自分スタンダード」な考え方をしてしまっているのでしょう。なにげなく口にする言葉のどこかに、私こそが正しい、というニュアンスが盛り込まれてしまっている可能性は否めません。

合わせさせられた相手は、当然ながら疲れちゃいますよね。

友達を作る一歩

ー疲れない会話をするー
たった一つ、この一つが出来るだけで、人から避けられなくなります。自然とつながれるようになります。それは、友達ほど濃い関係ではないかもしれない。ただ時間を共有していたい相手なのかもしれない。それでいいんです。

一緒にいて、ふわっと心が軽くなって、元気になって、なんかニコニコしちゃう、不安がちょっと減る、そんな相手になることをを目指しましょ。

相手がいて、私がいて、そのどっちもいていい。どっちの考え方もあっていい。
心理学者のアルフレット・アドラーはこう言っています。

その人の存在・生きていることに注目し、「何もできなくても」ということすらいう必要はなくて、あなたが生きていることが他者に貢献しているのだという意味の言葉を伝える、それが光を与えるということです。

引用 ほめるのをやめよう リーダーシップの誤解

光を与えられた人は、しおれた植物が上を向くかの如く、気持ちが上を向きます。

あなたといると、なんだかわかんないけど気持ちが軽くなる、という存在になれれば、はじめは知人かもしれないけど、その内友達という間柄になれる可能性大いにあります!

言葉は心を映す鏡

言葉のひどい人、乱暴な人は、心がすさんでいます。言葉に意味があるんじゃなくて、言わせてる心に問題を抱えている。心が、自らを縛っているんです。引用にあった「何もできなくても」ではなく、「これができないと生きる価値なし」みたいに自らの自由を奪ってしまっています。

縛り付けている縄、ほどいてみませんか?
あなたはけして性格が悪いんじゃなく、コミュニケーション能力が低いのではなく、自分も相手も存在していい自由を知らないだけです。親が放った毒牙「自分スタンダード」に侵されてるだけです。

毒なら解毒すれば、症状が和らぎます。

まずは自身に優しくしてみてください。何もできなくてもあなたには生きる価値がある、と思う。もし、そう思えないなら、なんでもいい、本をたくさん読んでみてください。いくつもの未知なる価値感に触れたとき、ちょっとずつ自分を縛っていた価値感が崩れ去っていくでしょう。


【おすすめの本】