優しいと時に命まで失ってしまう

優しいのはいいことだ、と我々は信じて疑いません。笑顔で話そう、なるべく肯定的な返事をしてあげよう、希望を叶えてあげよう。日本人は、海外の人に比べてほんとうに人当たりが柔らかく、安心させられます。

けれども、それが仇になることもあります。世の中には、柔和に対応してくれるのをいいことに、感情にかまけて好き放題する人がいて、そのせいで優しい人が心を病んで、命を絶つこともあるのです。

優しいだけじゃダメなんです。優しくて、強くないと。

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内閣官房の男性職員の自殺が物語ること

2020年2月1日、中国武漢からの帰国者が一時期身を寄せている寄宿舎で、対応に当たっていた内閣官房の男性職員が飛び降り自殺をしました。報道によると、各人一部屋ずつ用意すべきところを、部屋数が足りず相部屋になった、感染を防ぐための制約が多く自由に過ごすことができない、などのストレスからクレームが噴出し、怒りの矛先がこの職員に向かってしまった、のだそうです。

内閣官房に入るくらいですから、この職員は優秀で、それなりの学歴を積んだ人なのでしょう。そしてなにより優しかった。帰国者の気持ちを思えば、浴びせられる文句も当然と受け止めてしまいました。

気の強い人であれば、武漢に閉じ込められるよりはマシ、仮に発症しても日本なら十分な手当が受けられるといって、不満を押し返したでしょう。でも、この職員はそうはしなかった。できなかったのです。

自分と相手の間に明確な仕切りをつくる

なぜなら、この職員は帰国者との間に精神的な仕切りを築けなかったからです。帰国者の不満に同化してしまって、自分を責めるループに入り込んでしまいました。

人と自分の間に明確な仕切りがないことは珍しくありません。多くの人が、「自分は意見していいのだろうか?」と怯え、「いったら相手を傷つけるのでは?」と忖度します。悲しくなるほどまでに、我々は空気を読み一体化することを、強制しているのです。

しかしながら、それがゆえに命を絶ってしまうとあらば、一体なにが大切なのでしょう。

相手の問題は相手に返す

政府が武漢に行けと国民に命令したわけではありませんから、武漢で起きたことは、そこへ行った人の責任です。その責任は、帰国者に負わせるべきでした。政府の用意したチャーター機に乗るということは、その後の対応を政府に委ねることだと、諭すべきでした。

対応がずさんだったとはいえ、この問題の責任は帰国者当人にもあったはずです。政府の人間が責められるばかりでいいのでしょうか。

我々は攻め込まれると、つい、そちらへ気を取られてしまいます。でも、どんなときも、攻撃内容が相手とまったく関係ないことはないし、責任がない、ということはありません。どこか相手の責任となるところを見つけて、「あなたはどうなんだ」と問えば、攻められる一方で、一定の防御を敷けるのではないでしょうか。

命は大切

まだ37年しか生きていない未来ある若者が、不満を浴びせられたことにより、自ら命を絶ったというのは、かえすがえすも残念でなりません。一生懸命育てたご両親、共に歩んだご学友、職場で出会った仲間、そういった人たちの胸中を思うと、心が痛みます。

この職員さんと無関係な人は「死ぬことなんてないじゃないか」と思われるかもしれませんが、当人の痛みは我々の想像を超えるほどだったのです。そこに思いを馳せることが、せめてもの供養に思います。そして残された我々に出来ることは、これをただの出来事で終わらせないことです。

自分と相手に明確な仕切りを作ることができなければ、悲劇は繰り返されます。優しいだけじゃ、ダメなんです。相手の責任を見抜く眼を持ちましょう。責任は、相手にもあるのです。