いくらお金をあげても人を幸せにすることは出来ない

お金さえあれば、幸せになれると思っていませんか?お金があれば、好きなことが出来る、仕事しなくていい、頭を下げなくていい。

たしかにお金があれば、煩わしさから解放されます。貧乏が理由で諦めることもありません。それでも、お金が幸せのすべてでしょうか?

好きでもないお金持ちと結婚するのは?、宝くじが当たったら?、莫大な遺産が転がり込んきたら?、幸せになれるんでしょうか。

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お年玉をもらう子供は幸せか?

お年玉をもらうのは、お正月の楽しみの一つです。おばあちゃんはいくらかな?おばさんはいくらかな?

渡されたポチ袋を覗いて、「やったー!」と喜んだり、「こんなもんか」と落胆したり。金額の多さで一喜一憂。このとき、心に残るのは、「お金をくれたあの人」という記憶です。

なんの努力もなしに手にしたものは、身勝手な物差しで測ってしまいます。だからいただいた有り難さより、受け取った金額に振り回されます。相手の愛情や思いやりといった温かさはどこへやら。

その寒々しい側面が、回り回って窮屈さをもたらします。お年玉をもらったから、おばあちゃんのお手伝いをしなければならないかな、おばさんの自慢話に付き合わなければならないかな、といった縛りを生む。まるで自分を殺すかわりにお金をもらっているかのよう。なんだかとっても苦しげです。

弊害はそれだけにとどまりません。人は一度お金を手にすると、次も手に入ると勝手に思い込み、際限ない欲へと発展していきます。仮にもし途中で断られたとしても、そう簡単に怒りを静めることはできないでしょう。

お金をもらうことで自分を縛り、際限ない欲を育ててしまうのであれば、お金なんて人の幸せとは関係ない?

お金が活きるとき

そんなことはありません。お金が人を幸せにすることもあります。それは、お金を得る代わりに何を差し出したかが分かっているときです。「お金に換算する価値のあること」を、貨幣を交換するとき、自らを誇らしく思います。自分のやったことがこうやって評価されたのだと、胸を張りたくなります。

そしていただいた評価を胸に、もっともっと成長しようと頑張る気持ちが湧いてくることでしょう。
これが、活きたお金の使い方です。

本来お金とは、我々を振り回すものではなく、明日への希望を生み出してくれるものなのです。

幸せは、ここにある

幸せを感じるには、自己効力感(「自分はこれができる」という感覚)が必要です。労働してお金を得たとき、我々は自己効力感を強く持つことができます。この自己効力感というのがとても重要で、もしこれがなければ、どんなにお金があっても、自分が透けてなくなるような錯覚にとらわれます。

よく二代目社長が散財したあげく会社を潰してしまうのは、お金がありすぎて、お金を得る楽しみを感じられないからです。せめてもの喜びとして、お金をばらまいて、なんとか人並みの幸せを感じようとするのですが、そこで得られる喜びは自分が透けてなくなる程度のものでしかなく、残念ながら働いてお金を得る楽しみの足元にも及ぶものではありません。

それくらい何かをやって何かを得るというのは、幸せを感じるための強い決め手なのです。

どんな人もそれなりに不安で、常に「自分はどんな存在で、何が出来るのか」に囚われています。その答えは、何かをやって何かを得るの繰り返しで徐々に分かってきます。と同時に、何かをできる自分は、なんとなく居場所を見つけられたような気がしてほっとできる。その営みのなかに、ただお金をもらうだけのルーチンの入り込む隙はありません。

ですからもし、相手の幸せを本気で望むのならば、お金をあげてはいけません。お金を得るために何ができるかを一緒に考えてあげるのです。