生きる力を身につける方法

中学の塾の友達Yさんがなくなったのは、彼女が23歳の時。死因は衰弱による
心停止。
友人のちょっとした一言が決めてとなり、彼女は自分を責めに責め、命を手放して
しまった。

彼女に正常な判断力があれば、友人の言い分は間違いであり、気にすることは

ないのだが。
友人が悪いのではない。たんなるキッカケ。
彼女の心を蝕んだのは、他でもない両親である。

彼女の両親は、子供に一切の関心を見せず、自分たちだけのことを考えていた。
そのせいで、彼女は自分の存在を認められなくなり、生きる力でさえも失って
しまった。

親がどう子供に接し、子を育てるかで、子の生きる力に大きな差異が生じる。
先のブログ「人に嫌われる理由を考える」で書いたように、自慢ばかりする人
などは、生きる力が不足している典型なのだろう。

人は強制しても強制しても、あるべき場所に戻ろうとする。
だから心がカラの人が、かろうじて自分を保つために他人から賞賛を得ようと
しているところに、自慢をするなと強制をしても、心がカラの状態を埋める別の
手段がないならば、また元の自慢生活に戻ってしまう。

心を満たすために必要なのは、自分への「愛」だ。
自らのそのままを認めて、「愛」してやれば、肯定感が生まれ、自然と自信がわく。
つまり、心がカラの人がするべきは、カラである事を認め、カラである理由を考え
どうしたらカラの容器に「愛」を詰められるか知ることである。

私の意見として、カラを埋めるのに他人を使うのは限度がある。
他人は他人の都合や、余裕などがあって、自分の思い通りにはいかないから。
自分で埋める方法を我々は学ぶ必要がある。

もし、その方法を知りたい人がいれば、「

「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講 (講談社現代新書)
勧める。
10回くらい読めばおぼろげながら、分かってくる。
最低でも30回読んだ方がいい。
私は覚えていないくらい読んだ。

そんなに読まないといけないの?と思うかもしれない。
けど何年も心の空虚さに苦しむのに比べたらたいしたことはない。
1回読んで分かるようなやさしい本ではない。
10回読んで、やっと基本が分かる。
11回目からは自分の意見も述べられるようになる。
30回読むうちに、自分の中で消化される。
この本はそれほど価値があるのだと思います。