親を老人ホームにいれて、見舞いに行かないのは親不孝だというのは本当か?

中学生ぐらいの時「老人ホーム」なるものができて、そこに親を預ける子供について
私の親は「ひどい人。恩知らず」と罵った。
私は意見がなかったが、同調するのが家の暗黙の了解なので、モヤモヤを抱えな
がらも「そうだねー」と答えた。

そっから数十年たって、今、私は「その子供の行動は恩知らずではない」という意見に

変わった。

私は親に何年も会ってないし住所も知らせていないし、連絡もしていない。
ガキの頃から、親のエゴのためにこき使われ、侵略され、そして恩を売りつけられた。
ちょっと何かあれば「お母さんは我慢してあなたのために尽くしたのよ」と言われる。
おえぇ~。

親の道具として使われた子が未来親に尽くしたいと思うのだろうか?
私なら大人になって力を持ったとき、全力で親を捨てると思うな。
顔も見たくないし、声も聞きたくない。やっと親の呪縛から解き放たれる時期が
訪れたのに、みすみす介護なんてしますか?
ぜーったい嫌。

子はどんだけ親のために生きればいいんだ。今までだってさんざん親のために
生きてきたんだから、もういいでしょう。
老人ホームでもいって、とっとと死んでくれ。
これが本音でしょう。

つまり、老人ホームに入れられっぱなしなのは親自らが招いたことであって、
子供は悪くない。
親が子供をきちんと一人の人間として尊重して育てたら、親が弱ったとき、子供は
親がしてくれたのと同様に、一人の人間として親の希望を尊重し、老人ホームに
頻繁に訪れたり、親と同居するだろう。

親を嫌いな子などいない。けれど、長びく親からの支配の中で、子供はいつしか
窮屈さに耐えかね、反逆したくなった。
耐えて耐えてやっと手にした一人の個としての時間を大事にしたいのは当然だろう。
支配から逃れたいのは、人として当然もつべき安全の欲求なのだ。

我々は一人ずつ人間として尊重される権利がある。憲法にも書いてある。
親が子を人間として尊重することを無視し続けた結果、親自身が人間として扱われ
なくなったというだけのことである。
だから、老人ホームにいって、自分の過去の過ちを悔いればいい。
ただそれだけ。