面倒さが愛を育てる

携帯電話どころか、電話すらなかった時代、人々は恋文を書いて相手と心を
交わしていた。
手紙ということは、届くまで時間ラグがあり、相手が今何を感じているのか知ることは
できないし、問うこともできない。
だから、一生懸命相手の頭の中を想像して、手紙をしたためる。

実はこの想像する行為は、未来とても役に立つ。

どんなに近しい人間であっても他者であれば、考えていることは当然自分と

異なる。でもメールや電話などで頻繁に連絡を取り合えると、ついつい自分は
相手のことをわかっていると錯覚してしまう。そうやって胡坐(あぐら)をかいていると
分かり合えずにディスコミュニケーションに陥る。

だから若くて柔軟な頭を持っている時期から、相手のことを想像するという
訓練をすると、胡坐をかくことなく真摯に相手と向き合う姿勢ができ、考える能力が
ぐっと高まる。

愛は育てるものというが、それは即ち、相手のことを考える能力を鍛えることが愛に
繋がるということなのだろう。
相手が相手らしくいることを喜ぶのが愛である。
従って相手の素の考えを知ろうとすることこそが、愛するということではないだろうか。